国民の修身

上智大学名誉教授の渡部昇一先生が監修し、産経新聞から出された本。戦前の修身教科書「尋常小学修身書児童用」が再現されている。抜粋した項目に◎印をつけた。「…」は私のコメント。


◎2年生-7「自慢するな」
二羽の雄鶏(おんどり)が蹴合い(けあい)をしました。一羽は負けて小屋の隅へ逃げ込みました。勝った方は屋根の上へ飛び上がって、勢いよく勝ちどきをあげました。この時大きな鷲(わし)が飛んできて、その威張っている雄鶏を一掴み(ひとつかみ)に掴んでいきました。

◎2年生-11「不作法なことをするな」
文吉(ぶんきち)の家へ小太郎が遊びに来て、絵本を見ておりました。しばらくして文吉は母に呼ばれたので、急いで絵本をまたいで行きました。母は用を言いつけた後で、「ものをまたいだり踏んだりするような不作法なことをしてはなりません。」と言ってきかせました。

…10年くらい前から、方々の駅で床面広告が見られるようになってきた。恐らく昔の人だったら絶対にしないことだろう。広告とはいえ写真、顔写真、文字を足で踏むということは、不作法なことなのだ。不作法というよりも良心がとがめるはずだ。不作法なことでも金のためなら構わずする、という世の中はいけないはずだ。


◎2年生-19「祖先を尊(たっと)べ」
稲生(いのう)ハルは毎月一日十五日、その他祖先の命日には、朝早くから起き、体を清めて、仏壇の掃除をし、花を捧げ、香を焚(た)き、色々供え物をしてお祀(まつ)りをしました。もし人から珍しい果物などをもらうことがあると、きっと仏壇に供えました。

…学校教科書にここまでストレートに書いてあったとは。想像力を養うことであったり、目にみえないものを大切にするとは、こういうことではないか。また、一旦お供えする。それをお下がりとして頂く。「謙虚」ということが生活習慣の中で学べた時代だったのだろう。


◎2年生-22「辛抱強くあれ」
娘の手に掛けていた糸がもつれてからまりました。もつれが急に解けないので、娘は母に「このもつれたところを切り捨てましょうか。」と言いますと、母は「いえ、いえ、辛抱して解いていけば解けないことはありません。」と教えました。それで娘は骨を折ってそのもつれを解きました。

◎3年生-6「整頓(せいとん)」
本居宣長(もとおりのりなが)はたくさんの本を持っていましたが、いちいち本箱に入れてよく整頓しておきました。それで夜は明かりをつけなくても、思うようにどの本でも取り出すことが出来ました。
宣長はいつもうちの人に向かって、「どんなものでも、それを探す時のことを思ったならば、しまう時に気をつけなければなりません。入れる時に少しの面倒はあっても入用(いりよう)の時に、早く出せる方が宜しい。」と言ってきかせました。

◎3年生-7「正直」
ある呉服屋に、正直な丁稚(でっち)がありました。ある時客の買おうとした反物(たんもの)に傷のあることを知らせたので、客は買うのをやめて帰りました。主人は大層腹を立て、すぐに丁稚の父を呼んで[この子は自分の店では使えない。」と言いました。父は自分の子のしたことはほめてよいと思い、連れて帰って他の店に奉公させました。この子はその後も正直であったので、大人になってから立派な商人(あきんど)になりました。それにひきかえて、先の呉服屋はだんだん衰えました。

…短文だが、ズバッと一刀両断するような力強さがある。また、美辞麗句でもなく、極めてシンプルに大切な伝えるべきことを述べている。物心ついた頃からこのような修身を学んで育ったら、人間の質が格段に良くなることだろう。


◎3年生-16「祝日」
わが国の祝日は新年・紀元節(きげんせつ)・天長節(てんちょうせつ)・明治節でございます。新年は年のはじめを祝い、紀元節は神武天皇がご即位の礼を行わせられた日を祝い、天長節は天皇陛下のお生まれになった日を祝うのでございます。又明治節は明治天皇の御恩を仰(あお)ぎ、明治の御代の栄を祝う日でございます。

…こういうことも戦前はきちんと学校で教えていた。紀元節は現在の2/11建国記念の日、天長節は12/23天皇誕生日。ちなみに11/23勤労感謝の日は新嘗祭(にいなめさい)の日であり、天皇がその年の五穀の収穫に感謝する宮中祭祀の日である。


◎教育勅語(ちょくご)
我ら臣民たるものは父母に孝行を尽くし、兄弟姉妹仲良くし、夫婦互いに分を守って睦まじくしなければなりません。また朋友(ほうゆう)には信義を以て交わり、誰に対しても礼儀を守り、常に我が身を慎んで気ままにせず、しかも博(ひろ)く世間の人に慈愛を及ぼすことが大切です。また学問を修め業務を習って、知識才能を進め、善良有為(ぜんりょうゆうい)の人となり、進んでこの智徳(ちとく)を活用して、公共の利益を増進し、世間に有用な業務を興(おこ)すことが大切です。

…教育勅語は明治23年に明治天皇がお下しになった。これ以上のことはない、大切なことが全てここに述べられている。