内村鑑三の『代表的日本人』二宮尊徳編のなかにこういう一節がある。
—(ここから)
尊徳は夏、ナスを口にしてその年の不作を予言しました。秋ナスのような味が強くしたので「太陽がすでにその年の光を使いつくした」しるしであると告げました。
尊徳はただちに、その年の米の不足を補うために、一軒に一反の割合でヒエをまくように村人に命じました。次の年、近国はことごとく飢饉に見舞われたにもかかわらず、尊徳配下の三村では、一軒なりとも食糧の不足で苦しむところは出ませんでした。「誠実の人は、前もってことを知ることができる」とあるように、わが指導者は予言者でもあったのです。
—(ここまで)
「誠実の人は、前もってことを知る」
遠い先のビジョンを語ることも大事かもしれないが、まずは目の前にある仕事を丁寧に、誠実にこなすこと。この積み重ね以外に人間のするべきことは無いと思う。
そして、誠実に仕事をこなすためには、自分が敏感になり、細かなミスや失敗を放っておけない、完全主義の心境に近づいていくので「気づきの力」が自ずと増していく。
その気づく力が高まった所で、ナスの味に違和感をおぼえて悪い予感がした二宮尊徳の次の一手に繋がるわけだが、尊徳が元々霊能者であったわけでも直観力が優れていた訳でもなく、尊徳が誠実であったから直観力が冴え、俗にいう霊感の精度が高まったという道理。この順序を間違ってはいけない。
従って、気づく力を身につけたければ、今の目の前にある仕事を、自分の出来る範囲で極力丁寧に、確実に、誠実に取り組むことでしか答えは得られない。