朝まで生テレビ

先日の朝まで生テレビは、珍しく30歳代を中心としたパネリストたちで構成されていた。番組中、アナウンサーが観客席にいる大学生にインタビューするのだが、印象に残ったので記してみる。

「自分は官僚になり、太平洋の天然資源を手掛けたいと思っています」という学生に対して、千葉市長の熊谷俊人氏はこう答えた。「大きい仕事もいいけれど、まずは市役所のように市民を目の当たりにしながらズブズブの行政を経験するのも大事だと思うよ」

次の女子学生「私はジャーナリスト志望なので、大企業に就職したいんです」…いわゆる大企業信仰のようなものに対して、多くの出演者から突っ込みが入ったのは言うまでもない。考えが甘いんだよ、とパネリスト達は言いたかったのだろう。

最後の学生「僕は今の日本で幸せです。食べ物も不自由ないし、特に生活で困ることはないし」…「今はそうかもしれないけれど、日本の人口がこれから激減する中で今の国内のインフラは確実に支えられなくなるから、今の水準の生活は絶対に維持出来ないんだよ。認識が甘すぎる。」これはNTTドコモでiモードを開発した夏野剛氏のコメントである。

私が私の年齢で言うのも何だが、今の若い人たちが言いそうなことを象徴的に3本にしぼって発言してくれた、という感じがする。これは結局のところリアリティ(現実感覚)の問題なのだと思う。番組に出演しているパネリスト達は、いわゆる成功者である。しかし、その成功とは彼らの皮膚感覚が世の中の現実を敏感につかみどり、考え続け苦悶しながら自分の努力というものを傾けてきた人たちであると思う。

質問をした学生たちが駄目だとは私は言わないが、質問者たちはその真逆で、世の中がつかみ取れていない。現実感覚の希薄なままで、箱の外側だけを見て判断しているという感じだ。昔話の「大きなつづら」と「小さなつづら」、小さなつづらに宝物が入っているのを知らずに、大きなつづらの方が良いのではないかと外形で思い込んでしまうのと同じだ。(※舌切り雀の昔話。つづらとは衣装カゴ)

学生なので、経験値が低いからリアリティを求めるのは酷かもしれない。しかし彼らの多くは今後、枠組みの中の本質まで洞察することが出来ずに、漠然と地に足がつかないまま何だかんだいって社会の歯車に飲み込まれてロボットのまま老いていくのだ。

大企業であれ、不自由ない生活であれ、物心ついたときからそれが目の前にあれば、それが存在しているのは当然のように思えてくるが、それらは私たちの先輩たちが地味に髪の毛一本一本をたぐるように縫い合わせて構築してきたものであって、今私たちがしなければならないのはそれを有難く拝受しながらも、自分たちに出来る一手、一歩を何でもいいから踏み出してみろ、ということなのだ。

野望を持つこと、夢を抱くことは大事である。ただ、それは落下傘のように突然降ってくるものではなく、今自分が一歩から歩き出してつむいで行くべきものであるということだ。具体的に言うと、もし学校の先生になって30人を率いたいと思うなら、まずその前に家庭教師にでもなってみて、目の前の生徒たった一人を救ってみろ、ということなのだ。

夢に惑わされてフワフワしている暇があったら、どんなジャンルであろうと目の前に与えられた仕事を全力で打ち込んでみること。その先にこそ道は拓けていくのである。