けじめ

私は「けじめ」ということに対しては比較的厳しく対応するようにしている。

特に遅刻、宿題忘れ、授業態度。もちろん、普段頑張っている生徒が止むを得ない事情でまれに遅刻や宿題忘れをしてしまうこともあるかもしれない。この場合は私は叱責しない。完璧な人間なんていないのだから、あくまで以後の様子を見守るのだ。しかし、これが連続で起きたり、その背景に「心の緩み」が感じられた場合には私は容赦しない。

「(塾を)やめてしまいなさい」と私は平気で言うだろう。「ルールを守れない人間は出て行け」と怒鳴り追い出すこともある。

一般の塾であればまず絶対にそういう対応は取らない。「今度からは気をつけようね」と穏便に、次週生徒が同じ過ちを繰り返しても、塾側が生徒に対して「泣き寝入り」するのが常だ。それはそうだ、商売塾にとって生徒はお客様であるからだ。生徒に「やめなさい」なんて、収益を減らすだけなのだから。

しかし、申し訳ないが私は生徒はお客様だとは思っていない。一時私が恨まれようが、あくまで生徒に学力的にも人間的にも一歩向上して、一人格者として成長してもらうためのスパイスで私はありたいし、採算は塾が運営され私が生きていければいいだけであって、それ以上の、良心ある私塾、寺子屋でありたいと考えているからだ。

さて、この塾通信には苦言っぽいことを書くことが多いように感じられるかもしれないが、私自身は決して重箱の隅まで突くほど細かいことは言っていない。むしろ、最低限守るべきけじめは何なのか。そこに的をしぼって指摘しているだけだ。あとは極めておおらかで、自由に泳げる領域の広い塾だとは思う。

教育の要は「自己肯定力を育むこと=自分を信じられ、自立し、自分の価値観で判断し、自分の足で歩けること」「節目節目の礼儀と気配りが出来ること」その上で「繊細かつ大胆」な人間を作ることだと私は思う。そのために必要なことを、私なりの解釈で、生徒やご家庭に伝えていきたいと考えている。

余談だが、
来塾時「こんにちは!」のあいさつ、着席時「お願いします」と言ってきちんとファイルの向きを変えて連絡ファイルを私に渡してくれる、友達言葉(タメ口)を使わない、授業中の熱心な取り組み。

好感を持てる生徒の行動を見ていると「本当にこの子達に国を引っ張る逸材になってもらいたいなあ」と心から嬉しくなってくる。生徒と塾とは一週間の中でごく限られた短い時間のお付き合いではあるが、塾で培ったものが、生徒の将来に花開くよう、私も気を引き締めて塾運営にあたらねばならない。