ちょっとしたひと手間をかける

修学旅行で沖縄に行ってきた高校生から、紅芋タルトを頂いた。恐らく、箱で買ってきたものを、自宅で袋に小分けして、そのひとつを塾に持ってきてくれたのだろう。私はこの細やかな心遣いが嬉しく、この「ちょっとしたひと手間をかける」ことこそが、彼の人間力を高めるのだと思った。

つまり、もらった方は素直に嬉しい、そして、もっとこの生徒の為に尽くそうと考える。

世の中は結局のところ、こういう良い循環で動いていくべきだと私は考えるのだ。過度の接待は良くないと思うが、授業料を払っているからそういうものは不要だという考え方は、どうかと思う。

実際、私も中学生の時は京都で買った八つ橋を塾に持って行ったし、それこそ「気は心」で、感謝を形にして表す最適のタイミングだ。これは全然金額の多寡(たか=多い少ない)の問題ではなく、例えば100円でも充分にできることなのだ。

旅行先で「長い間お世話になっている誰々」を想って土産を購入すること、また、ちょっと小分けして土産を持っていこうかという気遣い、この細やかな配慮こそが、その子に対する周囲からの好感を集める素地となって、その子の魅力を高め、その子にもっと尽くそうという周囲のモチベーションを高めさせ、ひいてはそれが全部「人間力」となって、その子のもとに還っていくのである。

世の中で生き残る人間は、結局のところ「ちょっとした気配り」が出来るかどうか、その一点にかかっている気がする。これが出来る人間こそが、真の「勝ち組」というものだろう。そういう意味で、勉強は出来なくてもいいから、人間として好かれる人間になってほしいと、塾生全員、一人ひとりに対して願うところである。

※少なくとも3ヶ月以上在籍している生徒は、上記に対象すると私は考える。
※まさか誤解する人はいないと思うが、私はモノが欲しくて言っている訳ではないことは言うまでも無い。今日の話は、かつての日本で世代間伝承されてきた考え方だと思うが、戦後の核家族化で途絶え始めている。だからあえて書いている。