作文指導のコンセプト

昨日、面談で劇作家・鴻上尚史さんの話題になった。

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「そんなことしていいんですか?」と言う若者が増えている、という話。

面談では、O君が入塾から2年を過ぎて、
当初はもう少しにぎやかな、和気あいあいとした塾の方がO君はいいと思っていたけれども、今では当塾の方が居心地よく思えるようになった、と。

その理由は何なのか。

私が答えたのは、表面は楽しい塾でも、ズレた過保護ゆえに妙な所で生徒を縛る先生がいたりする。それに対して、当塾の方は表面は礼儀がどうとか堅苦しいイメージを持たれがちだが

実際には椅子をきちんと仕舞うとか宿題を誠実にこなすとか、基本的な姿勢さえ身についてしまえば、「妙な束縛」の部分がほとんどなく、実は極めて<自由>だということをO君が実感してきたからじゃないですか、と。

ひとつの例として、作文の指導。
上手でない先生は「表現」ではなく「内容」に手を入れ過ぎる。すると、生徒は書くことに萎縮してしまう。

書くことに委縮してしまうと、これを書いたら怒られるのではないかという不安が先に立つので、書けなるし、書くこと自体が嫌いになる。
鴻上さんの話ではないが、先生に「これでいいんですか?」といちいち聞かないと書けない体質になってしまうのだ。

それに対して、私は外側の「表現」については改善できるものは指摘するが、中身の「内容」についてはまず否定しない。

私が心掛けているのは、どんどん自由に書きなよ、ということ。
書くことはその人の精神の成熟度も連動するので、そこを見れば生徒により導き方が異なるし、そもそも指導側が生徒に無理強いをしなくなる。

大切なのは「たくさん読んで、たくさん書く」で、どんどん文章を書いて、書くうちに本人なりに気づくこともあるのだから、その小さな気づきを少しずつ促してあげるのが指導側の役割と思うのだ。時間は掛かるが、それが最も効果的で、一生モノの力になる。

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