当事者でなければならない

これ、例外も十二分にあるのだが、
受験において「頑張った!」「悔しい!」が成り立つのは偏差値でいうところの52~53がボーダーかと見ている。

何度も言うが、これは大変語弊のある話なので、一概には言えない。そうでなくても意識をもって頑張っている生徒がいるのを私は知っている。

あくまで一般論として聞いて欲しい。

というのは、定期テスト前の「焦った気持ち」であったり、高校入試前に「どうしよう」という戸惑いであったり、
そういったことが発生しないタイプの生徒もいるということなのだ。(本当は焦りと不安で押しつぶされそうになっているのに、先生は理解していない、という反論を受けることは本稿の趣旨ではない)

定期テスト前、学校からはテスト範囲表が配布され、そこには「○○をしておきなさい」「○○が出ますよ」ということが事細かに書かれている。生徒はそれを確認して、一つひとつをコツコツと勉強していくしかないのだ。そこを塾のような金をもらっている大人が「商品」「サービス」と称してテスト対策なるイベントをしたところで、自力が出せている生徒にはよいが、そうでない生徒には更に受け身を増長させる悪い薬としかなり得ない。自力が引き出せない指導は真の指導ではないのだ。

社会は支配する層と支配される層に分かれていることも事実であり、支配される層がいなければ世の中が成り立たないのも事実だ。しかし、自力が引き出せない層はほぼ確実にそのまま支配される層へと進んでいく。それで幸せだという考えもあるかもしれないが、せっかくこの塾と縁を持っていただいた生徒には、その二極の層から超越することも含めて、自力を自在に行使できる人間になってほしいと願っている。

何だかポエムみたいな話になってしまったが、いくら定期テストと県立入試の日程が重なるからって、入試直前に塾で学校のワークの提出をするための新しいページをしていたらダメだろう、と思う。そこで焦りは無いのか?ちょっと考えて、これをしたら入試のためになるという発想はかけらでもないのか?という私の【一般論】を踏まえて、どうすれば目の前の生徒から「自力」を引き出せるか、試験の「当事者」にさせることが出来るのか、ということを常に塾運営のテーマに置いていることは間違いない。