余白の時間が人を形成する

この土日連続で午前中に面談を行っていたのだが、
小学生を中心に「ピアノ」「バレエ」「水泳」と日替わりで習い事に通うケースが一般的になっていて、そこに「くもん」だの「塾」だの、となれば大人よりも忙しいスケジュールになってしまう。

英才教育としてはアリなのかもしれないが、
面談の中で「余白」という言葉が出てきて、もちろん習う時間も大切だけれども、一方で他者から何も干渉されない(制度化されない)「余白」の時間も大切ではないか、と。

私自身も「リズム体操」「水泳」「テニス」、一時期は「ピアノ」と習い事に行くよう親から仕向けられていた子供であったが、今思うに外から習ったことはそんなに印象に残っておらず、むしろ深夜にラジオを聴きながら”内職”で工作用紙を集めて模型を作っていた時の方がよほど印象に残っている。

親に見つかったら「勉強しなさい!」と怒られるだけなので「内職=悪」の認識であったが、今思うに誰からも干渉されない、<妄想>を生む余白の時間こそが今の自分を形成していると思っている。

例えば正月準備の一環で神社用にパンフレットを作ったのだが

こういった制作も、誰から「作りなさい」と指示されたものでもなく、自分が勝手に楽しんで作っているという、それは紛れもなく子供の頃の<妄想>の延長線上にあり、仕事と遊びの境界線は確実に消えている

意外と子供は余白の時間に自分で勝手に種を見つけて水まき(妄想)しているものであって、外から用意されたシステムの中では一時だけ打ち上げ花火が咲くかもしれないが、燃え尽きるのも早い

宮沢賢治の『稲作挿話』。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S7844.htm

~これからの本統の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教はることでないんだ
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない~

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