カオスな時代に生まれるもの

(抜粋ここから)

<田沼時代>
浮世絵の黄金時代は徳川時代のいつ頃かと思い、調べてみた。春信、春章、歌麿などは、すべて田沼時代という、極めて評判の悪い時代に活躍していることを発見した。そして「なるほど、浮世絵みたいな本来淫蕩(いんとう)なものは、腐敗と堕落の時代にボウフラでも湧くように出てくるのだな」と合点した。驚いたことには、杉田玄白らの『解体新書』や大槻玄沢の『蘭学階梯(かいてい)』が出たのも田沼時代、平賀源内がエレキテルの実験をやって人を煙に捲(ま)いていたのも田沼時代、与謝蕪村(俳人・画家)が活躍したのも田沼時代である。当然新しい疑問が生じてきた。こんなにも江戸文化らしい江戸文化が形成された時期が、どうして腐敗の極に達した「泥沼」時代などと悪口ばかりいわれるのだろうかと。(P.56-57)

<クリーン政治といわれるものの功罪>
田沼時代の泥沼的汚職政治を廃して、清潔な政治をほどこした教養ある政治家というのが松平定信の一般的評価のようである。なるほど松平定信は身分が高い。彼は八代将軍吉宗の孫である。当時第一流の教養人である。賄賂政治でない点において清潔な政治家といってよいであろう。倹約をすすめたのはそれ自体として立派なことである。しかし、私が外国に居て母国を見る視点からすると、日本文化の抑圧者にほかならないように思われた。

定信の倹約奨励となるとなおさらおかしい。彼が贅沢として非難したことの中には、いろいろ新しい工夫をした品物を作るということがある。創意工夫はいけないというのだ。書物や絵草紙(絵入り娯楽本)や浮世絵、高級なお菓子もいけない。女の装身具に金など使ってはいけない。庶民が髪結を頼んではいけない。髪結を仕事とする者は着物を縫うとか、もっと役に立つ仕事につかなければならない…と際限もなく禁令が続く。もっと悪質なのは学問の統制である。いわゆる「寛政異学の禁」である。朱子学を正学として、その他の学派の者が藩儒(藩に召し抱えられる儒学者)たることを禁じたのだ。

定信はたった六年間ばかり政権の座にいただけで、三十五歳の働き盛りで退かねばならなくなった。何だかんだといわれながら、四十九歳で第十代将軍家治の御用人になってから、六十八歳で老中を罷免(ひめん)されるまでの約二十年間、特別に天変地異・飢餓・大火の多かった時代を持ちこたえた田沼の政治力と比較すべくもない。定信の政策のため、世の中は極端に不景気になった上に大量の失業者ができ、言論が不自由で、出世の見込みはなくなり、人の世がつまらないものになった。(P.58-60)

出典:「時代」を見抜く力~渡部昇一的思考で現代を斬る(渡部昇一・著、育鵬社)

(抜粋ここまで)

新型コロナウイルス感染症により、社会構造の変革を迫られ、状況が混沌としてきている訳だが悪い事ばかりでなく、新しいことが生み出されるのも今の時代ということだ。「水清ければ魚棲まず(うおすまず)」で、環境が純化されて形式的な体制が強くなるほど、そこから生まれるエネルギーも削がれていく。

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