分からないなりに見ておく

先週の続き。

「勝手に遊ぶ人」といっても、無から有が自動的に生まれるのではなく、そうなるための種まきは必要だ。

種まきとは何か?
私の場合、父親が芸術系の教員をしていたきっかけで、新聞社に勤める友人からデパートや美術館で開催される展覧会の招待チケットをよくもらっていた。当時は展覧会といえば朝日新聞とか、大体新聞社が主催者に名を連ねていたのである。

そのため、幼少期から平山郁夫展とかユトリロ展など、祖父母の介護で家を離れられない母に代わって私が連れ出された記憶がある。

この話、何が言いたいのかというと、当時の自分にとっては展覧会がとても退屈だった。絵画には興味も関心もなく、早く会場を出て、大食堂で「ソーダ水」を飲みたかったのだ。

しかし、これが青年期を迎えて、無意識のうちに自分の基本的なバランス感覚の根底を築いていることに気づく。

これはその後、別業務で美容系に従事する人たちと関わることになって、この場合は特に爪にアートを施す「ネイリスト」を念頭に置くが、本人の向上心や技術的な知識に関わらず、根本的な素養、つまり芸術に触れる人生体験を重ねて来たかどうかが如実に露呈してしまうことが分かったのだ。

そういった場合、コミュニケーション能力や接客といった補完的な部分で商売を乗り切る人もいるが、デザインセンスでは素養の有無が決定的に生死を分ける。生死を分けるとは、その職種で長続きするかどうかということ。こればかりは気づいてからの後付けがなかなか難しい。

ということで、
今はよく分からなくても、幼少期、小学生、中学生のうちに機会があれば何でも色々と見ておく経験をすることは極めて重要である。

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