◎T・A(中3)~中江藤樹について
中江藤樹は現代の日本人が忘れかけている「情けは人のためならず」について語っている。藤樹は誰にでも親切をすれば巡り巡って自分に返ってくると村の人に教えた。その村の一人が馬子(まご:馬をひく職業の人)になりサムライを都まで運んだ。その後家に着いたら馬に財布が残っていることに気付き、もう一度江戸にいるサムライに届けた。そうしたら、サムライは返ってこないと思っていたのでとても喜んだ。そのサムライは財布を置いてきてしまい最期を迎えるつもりだった。馬子にお礼を渡そうとしたが受け取らなかった。なぜかというと馬子は人に物を届けることがあたりまえで見返りを求めていなかったからだ。サムライはその教えに心打たれ、それを教えた藤樹に興味を持ち、弟子になった。そのサムライはのちに大藩岡山にたずさわる(熊沢)蕃山である。よって現在もその村には教えが伝わっている。
私は代表的日本人という題名から、日本を代表する誰もが知っている人物について書かれているのだと思っていたが、私の不勉強のせいか恥ずかしながら中江藤樹と上杉鷹山について名前さえ知らなかった。最も、他の三人についても西郷隆盛は明治維新で活躍した人、二宮尊徳は二宮金次郎のこと、日蓮は宗教を開いた人くらいの知識しかなく、他の二人については全く知らなかったが本を読み進めていくうちに中江藤樹の教えに興味を持った。現代は親切に対して報酬を求める人が多い、そのため藤樹の教え「情けは人のためならず」にはなっていない。私自身も親切にしたら報酬を求めてしまう気持ちがあった。しかし藤樹の教えを知り、その考えを改めないといけないと痛感した。藤樹の教えは親が子に対する無償の愛に似ている気がする。見返りを求めないことはとても難しいことに思えるが、少子高齢社会になっている現在には、一番必要なことなのではないだろうか。私もこれからは「情けは人のためならず」の精神で生活していこうと思う。
◎A・R(中2)~二宮尊徳について
伯父は、自分にはなんの役にも立たず、若者自身にも実際に役立つとは思われない勉強のために、貴重な灯油を使うとはなにごとか、とこっぴどく叱りました。尊徳は自分の油で明かりを燃やせるようになるまで、勉強をあきらめました。一年が過ぎ、大きな袋一杯の菜種を手にしました。尊徳は、この菜種を近くの油屋へ持参し、油数升と交換しました。勇んで尊徳は夜の勉強を再開しました。自分の、このような忍耐と勤勉とに対し、伯父からは、ほめ言葉があるのではないかと、少しは期待した面もありました。しかし、違った!伯父は、おれが面倒を見てやっているのだから、おまえの時間はおれのものだ、おまえたちを読書のような無駄なことに従わせる余裕はない、と言いました。
私は、勉強があまり好きではなく、自主的にやる気になることはめったにありません。ですが、二宮尊徳は私と真逆で、一年かけて勉強をしたいのが理由で働いて、すごく勉強熱心というのがこの本を読んで伝わりました。この時代は、今の時代とは違い、お金があまり無く、自分の好きなことも我慢しなければならないとても生活に苦しんでいる人が多い時代でした。二宮尊徳はお金をかせいで好きな勉強をしようと思ったのに、伯父に「おれが面倒を見てやっているのだから、おまえの時間はおれのものだ、おまえたちを読書のような無駄なことに従わせる余裕はない」と言いました。私だったら腹が立ちます。ですが、二宮尊徳は伯父の言うことは当然だと思うと言っています。まったく理解出来ません。ですが、少し考えてみると二宮尊徳は伯父に面倒を見てもらっているから恩返しでもしたいのか、と考えが変わってきました。今の時代はきちんとした勉強ができる環境がある、という感謝の気持ちを持って勉強を懸命に頑張りたいです。