分かっている人ほどシンプル

『論語』の「季氏(きし)第十六」に「孔子曰く、君子に九思(きゅうし)有り。視(み)るには明(めい)を思い、聴くには聡(そう)を思い、色には温を思い、貌(かたち)には恭を思い、言には忠を思い、事には敬を思い、疑わしきには問を思い、忿(いかり)には難を思い、得るを見ては義を思う」とある。

現代語訳すると、こうなる。

孔子が仰った。君子の心がけることが9つある。
①物事を観察するときは枝葉末節に囚われずに本質を見抜くこと
②人の意見を聞くときは先入観に囚われずに虚心坦懐(心にわだかまりもなく、平静な態度で臨む)でいること
③顔つきはいつも温和であること
④人と接する際の態度は、恭(うやうや)しくすること
⑤ものを言う際は口先だけにならないように、誠実でいること
⑥仕事に臨むときは慎重であること
⑦疑問に思ったことはそのまま放置せず、よく質問すること
⑧腹が立っても、当たり散らした後の災難を考えて自重すること
⑨利益にはすぐに飛びつかず、その利益が義に叶ったものであるかどうかをよく考えること
(※参考:論語に学ぶ会 http://www.rongoni-manabukai.jp

自分に関連する話題であったり、感染症のニュースであったり、日々さまざまな情報に触れていると、頭の中が収拾つかなくなってしまう。情報の波に溺れてしまう。

しかし、ことの本質とはシンプルなはずである。
孔子の言う一点目に「物事を観察するときは枝葉末節に囚われずに本質を見抜くことを心掛けよ」とあるが、情報もそうだし、自分のすべき仕事もそうだし、本当はもっとシンプルなはずである。複雑な情報や考え方にバランスよく触れながら、自分のなかで自分なりに「シンプル」を心掛けて「シンプル」に集約させていくことが大切だ。

モノを本質的に分かっている人ほど、その発する言葉はシンプルで、モノを本質的に分かっていない人ほど、その発する言葉は複雑怪奇になっていくのはよくあるパターンである。難しいことを言っている人が立派なのではなく、難しいことを身近な例に置き換えながらシンプルに説ける人が、本当に分かっている人なのだ。