島津斉彬公諭達

鹿児島市内中心部の繁華街、天文館通りを北方向にしばらく歩くと、薩摩藩11代藩主の島津斉彬(なりあきら)公を祀った照国(てるくに)神社がある。その照国神社の境内に資料館があって、展示物のなかに以下の説明のパネルがあった。

島津斉彬公諭達(ゆたつ)
安政元年正月二十日、士風の矯正と文武学習の心得に関する諭達で、「学問の本旨は義理(人道の理義)を明らかにし、心術を正し、己を治め、人世を治める器量を養うことが第一であり、文章や読み方の末技に堕して、社会の倫理・実用に役立たないものであれば何にもならない。」と言っています。

西郷隆盛を見出し、大久保利通ら幕末に活躍する人材を数多く育て、自ら薩摩藩の富国強兵と殖産興業に力を入れて、明治維新の土台を築いた名君、島津斉彬公。その曽祖父の島津重豪(しげひで)公も先見の明の鋭い人物で、江戸で老中の松平定信が寛政の改革を行っていた頃に重豪公はすでに鹿児島でローマ字の読み書きを行っており、その筆跡も照国資料館に展示されている。「天文館」も今では飲食店が並ぶメインストリートだが、重豪公がいち早く天文学の研究にこの時代から着手していた名残である。

そのひ孫の斉彬公による四書五経(四書=論語・大学・中庸・孟子、五経=易経・書経・詩経・礼記・春秋)を土台とした藩士への人格教育、そして殖産興業の「集成館事業」にみられる造船・造砲・ガラス製造・紡績・写真・電信の研究と製造工場の設立。この文理両面の興隆と、国内のみならず世界と宇宙をも視野に入れたスケールの大きさ。斉彬公という一人の人物の偉大さが、これほどまでに国の歴史に大きな影響を及ぼすのかと、鹿児島市内を巡りながら感嘆せざるを得なかった。

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