困ることで成長する

一度指示されたことに対して、自分から繰り返し実践できないケースというのは少なくない。

「〇〇しなさい」→「分かりました」→その場では、する。
「〇〇しなさい」→「分かりました」→その場では、する。
「〇〇しなさい」→「分かりました」→その場では、する。

上記のサイクルを繰り返すが、なかなか自分から気づいて実践ができない。指示する側としては「何で同じことを毎度言わせるのか」となる。これは何故かというと、本人が困っていないからである。特にそれをしなくても本人としては困ることがないから、自分で気づいて実践できないのだ。

これは残念ながら、本人が壁にぶち当たって「そうだったのか」と気づくまで周囲としては待つほかない。こんなこと言っては身もふたもないが、実際そうなのだ。で、そんなことをしている横で、困っていなくても己を制することのできる、能力の高い人がさっさと脇をすり抜けて先に進んでいってしまう。

ということは、何かしらの場面で「困る」ということは成長の糧に転じるということなのだ。

幼少期に転んだ子供を引っ張って起こすか、子供が起きるまで待つか、という判断があるが、本人が困っているときに安易に助けない、ということも時と場合に応じては必要なことだと言えるだろう。

(この話題は、社会で困っている人を放っておけ、ということでは勿論ない)