最近、昔のことをよく考えるのだが、例えば私が子供の頃浦安の市進学院に通っていた時に、例えばA先生が怒った、K先生が楽しい話をした、という記憶があったとして、それが今の自分にどのように価値あるものとして残っているのか、と考えてみると、意外とそんなに残っていないな、と思うのであって、結局「考える」ということをさせてくれた先生が最も貴かったのではないかと今になって思えるのだ。
ふくろう博士の日本家庭教師センター学院というのがあって、私が小学生の頃一時期お世話になっていたのだが、その時のS先生というのが年齢的にもベテランで、実際にその後名門会に幹部として引き抜かれた実力講師でもあったのだが、私が問題が解けないでジッとしていると本当にいちいち怒ってくるのだ。で、しまいには受験全解とか応用自在とかその辺においてあった参考書を手あたり次第に私に激怒して投げつけてくるのだ。
そんなこともふと思い出してみると、そのS先生が激怒したのも、あれは単に激怒しただけであって、私にとっては何の為にもエキスにもなっていなかったなと、やはり今になって思えてくる。
そんなことを考えているうちに、神尾塾は楽しいとか楽しくないとか、恐いとか恐くないとか、そういう表面的などうでもよいことを超越して、とにかく生徒自身に「考えさせる」塾にしたいということで現在の指導方式に行きついていることを自分で改めて認識したりしている。
やはりどんな鮮やかな解説をしたとしても、どんなに懇切丁寧に説明をしたとしても、その対象の生徒自身が自分で何かを考え、自分の手で辞書を調べ、自分で一言ノートに何か文字を記すことには到底及ばない。東京とか首都圏に塾や教育産業が乱立していても、秋田や福井の子どもの方が平均学力が高いというのは、サービス環境が整っているから学力が上がるのではなくて、質素でも自分で考えさせることの土壌が地味に備わっている地域だから成し得ていることではないのか、と思ったりもする。
だから神尾塾も全てにおいて至れり尽くせりの塾ではなく、何か一つでも生徒が自分自身で一歩を踏み出すことのできるような、生徒が受け身とは正反対の立ち位置にある塾でいたい、またそういう理想を私は考え続けている。となると塾は上から生徒を引っ張るのではなく、空気のようになって風を起こしながら生徒の適性や考えていることに応じて風向きをパタパタとあおいでいくような存在なのだろうと思っている。