二宮翁夜話を読む~その6

その2の続き。その3~5は塾通信向きでなかったため割愛。
http://www.kamiojuku.jp/archive/180402.pdf

◎「天道人道」
これは本当に耳が痛い。「聞かないからといって捨ててしまうのは不仁である。教えてもその通りにしないからといって憤慨するのは不智である」・・・従来の私は不仁であり不智であった。

◎「恩を智と忘るとの事」
私が最も嫌うのは、今までしてきたことをしなくなる人間である。例えば業者であれば、毎年年末にカレンダーを持ってきていた営業マンが、次の年から来なくなったとする。別に異動になったとか私とその業者との取引額が減ったからではない。業者側のコスト削減があったというわけでもない。このように、一度始めたことは続けるべきで、それを気まぐれにしなくなる「恒常心」のない人間に対しては「正体見えたり」と、私は信用しない。さて、尊徳翁がおっしゃるように、餓死するのであっても使わなくなった釜やお椀を洗ってから死ね、というのは最高の道徳ではなかろうか。

◎「仁に志せば悪なしの事」
江戸時代の良寛禅師(良寛さん)が「災難に遭う時には災難に遭うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候。これはこれ災難を逃るる妙法にて候(災難にあう時は災難にあえばいいの。死ぬ時は死ねばいいの。これが災難を逃れる一番の方法なの)」と言っている。この言葉は尊徳翁の「凶歳であっても、常日ごろ精を出す人の田畑は、実りが相応にあって、飢饉に及ばなかった」「まことに商法に志せば不景気がない」が大前提になるのではないだろうか。日ごろから努めておけば、災難にあっても、あとあと振り返った時にそれが最善の出来事だったのだよ、という究極の救いの言葉のように思う。要はその都度その都度「やり尽くせ(物事は中途半端にせず徹底的にやりなさい。その結果は必ず悪いようにはならない)」ということだろう。

◎「永世に残るは功労のみ」
「徳不孤 必有隣(徳は孤ならず必ず隣あり)」は「論語」里仁篇より。徳のある人間には必ず支えが現れるから大丈夫!というこれまた力強い言葉。「骨を折って中途でやめなければ、必ず天の助けがある」はまさに「徳は弧ならず」に通じる。徳を高めるためには、人に親切にする(相手に誠実に向き合う)、目の前の仕事(勉強)に自分の力を尽くす、という2点に他ならない。

尊徳翁の二本柱は「勤勉」と「無から有を生む」だと私は思っている。今回は特に「勤勉」に関する項目が多かった。同時に、対象への深い思いやり、人間に対する愛情というものがひしひしと伝わってくる。