森信三先生の「修身教授録」(致知出版社)から読んでみよう。
【素質】
単に自分の素質をたのんで、全力を挙げて自分が現在当面している仕事に没頭することのできない人は、仮にその素質はいかに優秀であろうとも、ついに世間から見捨てられてついには朽ち果てるの外ないでしょう。かくして人が真に自分を鍛え上げるには、現在自分の当面している仕事に対して、その仕事の価値いかんを問わず、とにかく全力を挙げてこれにあたり、一気にこれを仕上げるという態度が大切です。以上の事柄に関連して、もう一つ平生私の痛感していることがあります。それは私が現在学生時代を顧みるに、学生時代に自分の素質をたのんで試験をおろそかにした人は、その後の歩みを見るにいずれも芳しくないようです。つまり素質としてはよくても、結局世間に出てから、大したこともせずに終わろうとしています。
今専攻科にいる一人の人で、名前はちょっと差し控えますが、これとは別の例もあります。というのもその人は、一年生から三年生頃までは、五十人中三十番前後にいた人です。ところが四年の三学期に、ふとしたことから「学校というところは、試験の成績で生徒の価値を判定するところである」と悟って、それから俄然として目を覚まし、それ以来試験に対しては全力を挙げてあたるようになったのです。そこで成績もめきめきと上がって、今では専攻科生八十人中の二番になっています。そこで先生方のその君に対する見方も一変して来ているのです。学校でさえすでにこのようです。いわんや社会においてをやです。
元々の成績が良いとか悪いとか、偏差値が高いとか低いとか、そういう問題ではなく、自分のいる段階から一段上への成績上昇を遂げることのできる生徒は、どこかに「自分に対する厳しさ(ストイックさ)」がある。
先ほどの証明問題は特に記述が面倒で、「もういいや」と投げ出したくなってしまうこともあるだろう。しかし、そこで安直に投げ出すか、それでも課題に向き合って一つひとつの論理の処理をこなしていくか、この精神力、自分に対する厳しさがその人自身を鍛え、社会人になってからもそういう人材が活躍するのだろう。