仕事ができる時期は有限

江戸時代後期の僧侶、良寛和尚の言葉に「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」というものがある。

その時その時に起きる出来事をありのままに受け入れなさい、下手にジタバタすれば余計に話がややこしくなるぞ、という風に読み取ることもできるし、その都度起きていることをその場限りのものとして大切に受け止めなさい、とも読み取れる。

個人的な話だが、昨日は神社の方で朝から七五三の参拝、昼前には月次祭(つきなみさい)という定例の祭祀を行って、夕方に教室を開けた頃には一日のエネルギーを使い果たしたような気分になっているのだが、それでも今の自分に出来ることを精一杯努めていこうと仕事に向かった。良寛さんになぞらえて、「仕事する時節には仕事するがよく候」とつぶやきながら。

かつて「今でしょ」というフレーズが流行したが、今できることは今しておくべきで、今目の前にある仕事は今の自分が今するために与えられている。

9月に吉田拓郎のコンサートに行った。彼は今年70歳で、年齢の割にはビジュアルは若いし元気といえば元気なのだが、声がかすれるようになったり、高音域が出せない、間奏でのブルースハープが最後まで吹けない(息が続かない)など、「出来ないこと」が歳を重ねて増えていくのが、どうしても目についてしまう。

若い頃に出せなかった円熟味が今の年齢で出せている、という見方も出来るけれども、それでも10年くらいまでのパフォーマンスに比べればどうしても負の部分が隠せなくなる。

人間には、その仕事をすべきピーク(旬)が間違いなくあるのだ。旬のカニの味は冷凍保存されたカニの味には敵わない。人間も、今できる【いい時】に【いい仕事】をしなければならない。【いい仕事】は今しか出来ないのだ。

大人がそうであるように、高校生も、中学生も、小学生も、今すべき仕事(勉強)に全力投球すべきである。もっと細かく言うなら、テスト前にはテスト勉強をすべきで、テスト前日に提出物のワークにようやく手をつけているような体たらくでは、正直言って【終わってる】し、そのズレた行動がズレっぱなしで更にズレを呼んで、その生徒自身が今後の人生全般で何かとタイミングを外した生き方をするのではないか、と大きなお世話だが心配してしまう。

時間は有限で、仕事ができる時期も限られている。「するべきタイミング」で「するべき仕事」をしておこう。

(※【 】内はあえて話し言葉を使用した)