偏差値60の壁

中3生で基本的な学習(「トレーニングノート」「強化と対策」など)を終えた生徒は模試の過去問演習に移行している。実戦問題と向き合うことで、足りない知識や技能を磨いていく。

先日は模試の過去問演習を行っている生徒に「偏差値60の壁」という話をした。「ここまで調べ尽くしているのか」「ここまで完璧に英文解釈をしているのか」と、自主的に・完璧に・徹底的に目の前の問題に取り組めるようになったら高校受験における偏差値60を超える、ということである。

偏差値では全生徒の全成績のちょうど真ん中を偏差値50と位置づける。得点というのは平均点によってその価値が変わってくるので、得点だけを見て一概に成績の善し悪しを判断することは適切でない。今年3月に偏差値の生みの親である桑田昭三先生が亡くなられたが、得点と順位を総合した指標として偏差値は後世まで活用され続けることだろう。

ただし、現在公立中学校では偏差値追放により、偏差値を使用した進路指導が行われていない。学校で行われている得点による志望校判定は、ルームミラーとドアミラーを外して自動車を運転しているに等しく、信頼性に欠けると私は思う。

ところで、「偏差値50の壁」というものもある。先週の塾通信では、イタリアンの鬼才・小林幸司シェフによる「与えられた仕事を完璧にこなせ」という言葉を紹介したが、これが出来て偏差値50といえる。逆に、指示されたことも充分に出来ないうちは偏差値50に遥か及ばない。

偏差値30台の立ち位置としては、「ノートにタイトルや名前を書く」とか「解答を正確に書き写す」とか、人間としての基本的な振る舞いが出来ているかどうか。偏差値40台としては、概ね指導に従った学習をしているように見えて、いざ「辞書で調べたの?」「あ、まだ調べてません」、「青ペンで注意事項書き込んだの?」「あ、まだ書いてません」、「丸付けしたの?」「あ、まだしてません」と、生徒本人が思考停止に陥っている状態だったりする。

なので、偏差値40台の生徒はよほど意識が高まっていかないと、ずっとその辺りの成績をウロウロしたまま卒業していくことになる。指導側としてはこのあたりの生徒の扱いが一番難しいと感じるし、千葉県立高校もこの辺の生徒を受け入れる学校がボリュームゾーンとなっていて、人数枠が一番大きいと言える。

尚、この話は偏差値を段階分けして見た場合の一般論で、個々人の人格や人間性を評しているのではない。というのは言うまでもないことである。

※注:本記事は進研偏差値(進学研究会)を念頭に置いている。