目に見えない仕事

大学3年の夏、JIA日本建築家協会のオープンデスクという企業実習の制度を利用して、日建設計という大手の建築設計会社で約1ヶ月間インターンシップをさせていただく機会に恵まれた。

配属先の設計室では当時飯田町地区(飯田橋駅付近)再開発の一環で大塚商会の新本社ビルを手がけていたが、学生の私がウロウロしても仕方ないだろうということで、「1階の床石の配色パターンを数案スケッチして出しなさい」という課題が出された。
(※実際に採用されるための案ではなく、あくまで「研修生の課題」としての出題)

何時間もかけて色鉛筆を取っ替え引っ替え、1階の平面図に市松模様の床パターンを塗っていく。そんなこんなで一日が終わる頃、担当の社員の方が近づき、「設計の現場ってデザインばかりしているように思うだろうけど、9割は役所に届け出る書類とかの実務だよ。デザインは残りの1割。夕飯食べながら、スピードで処理していくんだよ」という話をされていった。

大学4年からは大学院にかけて、新宿アイランドタワーの30階にある日本設計という、日建設計に次ぐ大手の設計会社で数年間アルバイトをさせてもらったのだが、日本設計は赤坂のTBS本社ビルを設計した会社でもあるので、完成後は通称「ビッグ・ハット」の高層階に取り付けてある「TBS」という巨大看板が、ビルの社名表示であっても港区の条例では屋外広告物にあたるということで港区へ申請する書類を作成したりなど、いわゆる目に見えるデザインの仕事は1割で、残り9割の労力は目に見えない実務に充てられていることを改めて痛感した。

この頃こういったことを思い出すようになったのは、実際塾の仕事が同様だからだ。経理やら掃除やら生徒の進路、指導方針の検討、書面づくり、メール対応といった実務が大半で、残りの時間を切り裂いて予習をしたり教材研究をしたりというアカデミックな時間を確保しなければならない。

何事も同じなのだろう。世の中のまともな仕事は「見える仕事が1割」「見えない仕事が9割」で出来ていると。

これは学生の勉強も同じで、テストで結果を出す生徒というのは、まれに天性で最小限の努力で結果を出してしまう場合もあるだろうが、一般的には外から見えない努力を積み重ねて、これでもかこれでもかと練習や暗記を積み重ねて結果につながる。

西郷南州遺訓の第38条を読んでみよう。


世人(せじん)の唱(とな)ふる機会とは、多くは僥倖(ぎょうこう)の仕(し)當(あ)てたるを言ふ。真の機会とは理を尽(つく)して行ひ、勢(せい)を審(つまびら)かにして動くと云ふに在り。

世間の人たちが使う「チャンス」とは偶然に降りかかった幸運のことを指しているが、本当の「チャンス」とは正しい筋道を踏まえて重箱の隅を詰めるがごとく努力を重ね、全体の状況と流れをしっかりと見極めて動くことにより発生するものだ。

と、南州翁(西郷隆盛)は仰っている。

1割の幸運を見出すために、9割の努力をそこに捧げようではないか。