現場でできる業務改善がある

12月9日の読売新聞朝刊。教職員は多いのか少ないのか、というテーマで3名の識者が意見を述べている。うち2名は大学教授で、「教員の数を増やすより質を高める方が経済効果は大きいのではないか」など私としてはあまりピンとこなかったのだが(学者特有の机上の空論?)、さすが的を射たことを発言されているのが現在立命館小学校校長顧問の陰山英男先生。

—(陰山先生の主張、抜粋ここから)

学校現場では熱意のある優秀な教員ほど忙殺され、元気をなくしている。それを見て腰が引けてしまう若手も多く、悪循環に陥っている。教員が疲弊する要因はいくつかある。まず行政に提出する調査書や報告書が多すぎる。文科省や教育委員会がその必要性を精査して無駄を改善しない限り、負担は軽くならない。

最近は経済的な困窮など、福祉の課題も絡むケースが増えている。ベテラン教員の大量退職も重なり、経験の少ない教員の悩みは尽きない。こうした課題に対応するには、業務をスリム化し、教員に時間的余裕を与えないといけない。それには、管理職の力量が鑓を握る。評価の高い学校の校長は有能であることが多い。若くても管理能力があり、業務の効率化を図れる現場のリーダーは、管理職試験の受験の有無にかかわらず、教育委員会が校長に指名できるような制度があっていい。

私は現在、小学校の学力向上が課題の自治体にアドバイスする仕事もしている。漢字や計算など基礎的な学習を徹底的に反復する方法を指導したところ、3年間で飛躍的に学力が上がった。学校現場は活気づき、教員の負担も減った。教職員の数は多いに越したことはない。しかし、多忙だから、ただ数を増やせでは、問題の根本的な解決にならない。その前に、現場でできる業務改善があるはずだ。

—(抜粋ここまで)

「多忙だから、ただ数を増やせでは、問題の根本的な解決にならない。その前に、現場でできる業務改善があるはずだ」…現場で汗を流してきた人の実感からにじみ出た意見だ。

ごく小規模の神尾塾でさえ「これ無駄ではないか?」と思う取り組みをいつの間にか惰性でしていることに気づくことがある。そういうことに敏感になって、無駄で無意味な取り組みを消去し、必要なこと、意義のあることだけを残していく、という組織と思考の柔軟性が大切なのだろう。

ただ人間はどうしても思考停止になりがちだし、これは皆が従来からしてきたから、と同調圧力に負けて不必要な型枠がどんどん膨らんでいくという、そこでそういった不合理を打ち崩していくことを有能なリーダーが先達していくことが大切なのだ。