根深い読解力の悩み

「塾は病院のようなものだ」と考えるようになっているフシが私の中にあって、まさか内科医院のドクターが来院した患者を診ながら「最近の日本人は風邪っぴきばかりだな!」とか言わないのと同じで、私が塾の中で見ている景色は決して全国の全ての子供たちに起きているのではない、とは理解しているのだが、

それでも最近は「問題文を読まない生徒が増えている」と思わざるを得なかったりする。こういうことを書くと、「先生、うちの子のことを言っているのかしら」と不安に思われてしまうかもしれないが、決して特定の生徒を念頭に本記事を書いているのではなくて、意外と多くの生徒に同じことが起きているのである。

国語力というのは今後の学力を占うバロメーターのような側面があって、国語が出来る子は基本的に伸びる。逆に、国語が苦手な子はなかなか伸びにくい。しかも数学計算のように後天的にトレーニングで改善していく単元とは異なり国語だけは先天的な能力が根強く影響しやすい。

だから国語だけは、放っておいても出来る子は出来るし、出来ない子は出来ない。これが他の教科に関連してくるというのは、例えば社会科で用語だけ一所懸命に暗記をしても、いざ問題文を読んでその用語を頭の中から引っ張り出せるような読解力を持ち合わせていなければ、覚えた用語をどの場面で表に出したら良いかが分からない。当然、主要5教科のあらゆる場面で国語力の有無がその成否を分けるようになる。

で、国語の苦手な生徒をさらに掘り下げてみると、文章読解をしてその場面を頭にイメージするとか、そういった高度な話ではなく、英語ならば「複数形で書きなさい」と指示されているのに単数形で答えてしまったり、「チュウジツに実行する」の片仮名の部分を漢字に直す問題があれば解答欄に「忠実に」と送り仮名や助詞をそのままつけて答えたりしている。

結果として「問題(と生徒自身が書いた答案)をよく読め」と丸付けされる前にその生徒は答案プリントを突き返されることになるのだが、このように注意力散漫な生徒の内面で何が起きているのか、という所の分析が今年の私の課題の一つだということは確実に言えそうだ。

このように、読解力および国語力と一口に言ってもそこには上記のような「重層的」な問題をはらんでいる場合があり、学力向上は一筋縄では進まないことになる。それだけに国語は最重要かつ厄介な教科である。