基本的なことをきちんとする

教室に入ると、1枚のパーテーションを挟んで手前が神尾グループ、その先のホワイトボードを挟んで奥が増井グループの授業スペースになっている。先週1週間を見ていると、「うん、そう。そのタイミングだよね」と適切なタイミングであいさつの出来ている生徒もいれば、こちらから発破を掛けてようやく「さ、さようなら」とボソッと発する子もいたし、また正面を向いたまま私の前を素通りして入退室しようとする生徒も実際の所、見受けられた。

この違いは何だろう、ということをよく考えるのだが、やはりこれまで日常生活の中で基本的なことが出来ていたかどうかということでしかない。割合としては前者の方が増えつつあるのだが、後者の行動習慣を変えていくのは容易なことではない。これまでも旧神尾塾で新入塾生を一人迎える度に感じていた違和感が、3月からの2週間で一気に何十倍にも膨れ上がって押し寄せているようであって、でもこの基本的なことをしつけていくことは絶対的な善であると考えている。勉強の楽しさとか、そういうことはこの先にあるものだと私は認識している。

仮の話ということにしておくが、教室の体制が変わって私に悪態をついた子がいたとしよう。で、対処のためにご家庭と連絡を取ってみたりするのだが、「うちの子は人見知りなので…」という返事が返ってきたりする。「いやいや、そうではないだろう」と私は考える。教室の雰囲気が変わろうが何であろうが、14~15歳にもなって、初対面の大人に向かって悪態をつけてしまうような行動習慣を身につけてしまっているから、いざ塾に変化が訪れた時その子がそういった態度を隠さず表に出してしまうのだろう、と。

別の教育関係者がこれを見れば、「中学生は難しい時期なんですから大目に見て穏便に接してあげて下さい」という意見も出てきそうだが、私は断固違うだろうと思う。先週の塾通信とも関連するが、日常の習慣というのはものすごく大事であって、例えば両手でモノを渡す癖であったり、出入口で「失礼します!失礼しました!」と発したり、椅子を奥まで仕舞う癖をつけておけば、いざ急ぎの時に自分が無意識の状態であっても、それなりに整った行動が取れるようになるものなのだ。

生徒が先生に両手でモノを渡す、というのは別に先生が偉いからではない。いつでも人に賞状を渡すような感覚で丁寧にモノを扱っていけば、いざの時にも丁寧に扱えるし、他人からの評価であったり、社会に出て「A君にこの仕事を任せるか、B君に任せるか」という判断を上司がする時に、「うん、Aの方がきちんとしているからAを信頼して任せよう」という生存競争の生き残りにも繋がってくるのだ。

私もまだまだ未熟であるが、しかしこういったことを指導できる指導者、家庭が現代にどれだけ減ってしまったのか、ということを嘆かざるを得ない。