戦いが始まった

新しい教室が稼動を始めて5日が過ぎた。私自身もまだ何となく落ち着かず、集中を欠いているために野暮なミスを犯しがちになっている。

この数日、旧初富教室から継続して来られている生徒を見ていると、「新しい教室に向けて気持ちを前向きに切り替えようとしている生徒」と「旧教室の雰囲気をそのまま引きずって抜けきれない生徒」に見事に二分されているように感じている。

前者の中にはこれまで配布してきた資料を熟読してくれたと思われる生徒も数名おり、あいさつを含めて適切な行動が取れていた。その誠実さに対して心から感謝を捧げたい。

後者を見てみると、入室してしばらく無言のままの生徒もいれば、月謝袋をぶっきらぼうに「はい、お金」と片手で渡す生徒、入室してすぐに増井先生に私語を投げかけようとする生徒など、緊張感に欠ける行為も少なからず見受けられた。授業中も「いま何時ですか」「あと何分ですか」と残り時間を気にする声が聞こえてきたこともあった。

もちろん、環境が変わるということはストレスの大きいことなので、旧初富教室の生徒にいきなり120%で神尾塾流を押し付けるつもりはない。そこは徐々に慣れさせていく考えだ。しかし、あくまで基本的なこと、あいさつとか言葉づかい、マナーのレベルは最初から注意していかなければならない。

また、神尾塾では塾内での友達同士の関係、横のつながりを徹底して断ち切るようにしている。今回設定した時間割も、中学校のクラス、部活、友人関係など、把握出来た情報を元にして全てをバラバラにすることを意図している。何故ならば、生徒が塾で向き合うべきなのは「自分自身」であって、横にいる友達ではないからである。

友達と親交を温めるのは学校や塾外で行えばよいのであって、塾内でいちいち友達の顔色を気にしているのはおかしい。また、生徒同士の私語が絶えず、先生から「おい、静かにしなさい」とかそういう下らない指導が行われるのは、お粗末過ぎる。

ご家庭は何故お金を払って子供を塾に通わせるのか。ストレートに言えば、「遊ぶために塾に通わせているのではない」という一言に尽きるだろう。ならば塾が用意すべき環境は「静か」であることが大前提であって、その上で生徒が「落ち着いて」「集中力を養いながら」学力を身につけていくということに他ならない。

指導者は指導者で、生徒を放任するのではなく、生徒の現状と今後の見通しを一直線に直視しながら、一人ひとりの生徒に対して臨機応変に相応しい指導を構築して生徒を引っ張っていくリーダーシップが肝要であると思う。

もちろん、受験が最終目標ならばその成否を決めるのは生徒自身であるけれども、生徒任せの指導が成り立つタイプの生徒は決して多くはない。塾はご家庭や生徒にとっての道しるべにならなければならないと私は考えているのだ。

もう一つ気になったのは、ご家庭からのメールの反応の薄さであった。もちろんメールを日常に使いこなせていないご家庭もいらっしゃるだろうし、これまでの教室においてメールを活用したコミュニケーションが取られていなかったせいもあるだろうが、それにしてもメールの反応が薄すぎることには正直驚いた。薄い、というのは無反応と言う意味である。

この辺も再三の問いかけを経てようやく返信を返してくださる方、次第にその反応が変化して、メールを介して通常のコミュニケーションを取れるようになりつつある方もおられる。とは言え、まだまだ全体にまで行き渡ってはいない。

旧神尾塾の生徒に目を向けると、
先週水曜日の初日から、新教室でのマニュアルなど指示していないにも関わらず、入り口のガラス扉で「失礼します!」「こんにちは!」「お願いします!」と申し分ない振る舞いが出来ている生徒が多かったのには逆に驚いた。また、これまでの神社社務所とは全く異なる場所なのに、机に向かったらこれまでと同じく時間を気にせず集中して目の前の取り組みに向かっている。

もちろん、入試問題演習などで時刻を把握しながら問題を解き進める必要も今後は出てくる。しかし、今はそうではなく、あくまで時間を気にせずにまず自分の目の前のことに取り組む集中力を養うことが大切なのだ。そうではなく「いま何分」「あと何分」と残り時間を気にすることは、授業が終わって早く帰りたいという気持ちが優先順位の上位になってしまって、目の前の勉強が二の次になっている。これでは本末転倒なのだ。

教室のレイアウトが変わったとは言え、同じ教室に引き続き通っている生徒の方が本来落ち着いて学習に取り組むはずなのが、逆に落ち着かずに向こうの壁を見たり時計を探したりして、そうではなく別の教室から全く新しい教室に初めて来て受講している生徒がわき目もふらずに目の前の学習に向かっている、のは興味深い現象だと思った。

手前味噌かもしれないが、これまで神尾塾で培ってきた生徒一人ひとりの集中力は「本物」に育っていたのだな、ということを痛感したのであった。これからはこれを旧初富教室の生徒一人ひとりに波及させていくことが私の仕事となる。

「三分間のこころざし」については一旦中止することにした。論語や大学・中庸といった四書五経については塾通信の旧号でも取り上げてきているし、私としても是非使用をしたい教材であるのだが、それよりもまずは全員に適切な振る舞いを身につけさせることが先決だろうと考えた。


1.扉を入る時に『失礼します』
2.脱いだ靴は向きを変えて揃える
3.教室に入ったら『こんにちは』または『こんばんは』
4.授業開始時、宿題を挟んだ連絡ファイルは向きを変えて渡しながら『お願いします』
5.授業中『はい』の返事
6.辞典など塾の備品を借りる際は『○○を借ります』『ありがとうございました』
7.授業終了時、連絡ファイルを受け取りながら『ありがとうございました』
8.消しゴムのカスは机の中央にまとめ、椅子は机の奥までしまう
9.席を離れる時に『さようなら』
10.扉を出る時に『失礼しました』

これは全員に配布済みの塾パンフレットに掲載してある。

タメ口は許さず、正しい言葉づかい、また両手で物を渡すなど、そういった基本的なことを定着させたい。それでないと「三分間のこころざし」もただ「読んだ」「書いた」というだけの形骸化に陥ってしまう。

「あの人はしっかりしているね」「立派だね」と人望を集める人間に生徒を育てていきたいのである。また、これを習慣づけさせられるのは今しかない。大人になったらこんなことは誰も教えてくれない。「あいつは無礼だな」の一言で無視されて終わってしまうだけである。

基本的な行動を正す、その先に宿題をきちんと丁寧にこなす、そして集中して学習にあたる習慣。これらは徐々に連鎖して身についていくのである。

まずは今月一ヶ月。戦いは始まったばかりだ。