いつかなにかに結実する

この度ノーベル物理学賞を受賞された中村修二氏の「好きなことだけやればいい」(中村修二・著、バジリコ/2002年刊)という本を読んだ。

中村氏には未来の常識を先取りして生まれてこられたような印象を受けたが、その分、今の日本においては氏に対する理解が浸透しない部分も多々ありそうだ。同書ではタイトルの通り「好きなことだけやればいい」という趣旨が貫徹していて、自分の好きな事に夢中になることで人生が拓けてくると述べている。

エピローグでは日亜化学に対して舌鋒するどく書いているところもあり、同書をこのまま小・中学生に読ませるのはよく判断しないといけない、と私は思ったのだが、それでも中村氏でさえ「結果が出なくてもがんばり続けることに意味がある」と述べている部分もあり、中村氏でさえそう考えるのか、と新鮮な印象を持った。

その部分を抜粋してみる。

バレーボールに明け暮れた中学高校の六年間は、私にとって欲求不満の固まりだった。ところがその気持ちは、高校時代とは少し変化してきていたのである。つまり、なにも成果がなくても六年間がんばって練習を続けたということが、ある意味で私の自信につながっていた。

自分でもおかしな自信だと思う。なんの達成感もなかった六年間だったが、ただがんばり続けるということができたことが自信になっていたのである。その自信を強く実感したのは、会社勤めを始めてからのことだ。会社の命令で「これは売れる」という製品を十年間で三つ作った。ガリウム燐、ガリウム砒素、赤外LEDと赤色LEDだ。自分なりにがんばって、ただがむしゃらに研究開発に打ち込んできたのである。

こうしたことは、私や日亜化学という会社だけに特有のものではないはずだ。人生、どこでなにがどう活きるか、わからない。なんの成果も生み出さないと思っていたことでも、いつかなにかに結実することがあるのだ。(P.149より)