個別塾で雑談はいらない

先週の塾通信で、卒塾生と食事をしながら2時間ほど話をした話題について書いたが、塾内で現役の塾生と無駄な世間話をすることはほとんど無い。予備校でいう所の「雑談」に当たる話題は一切しない。

予備校講師の大御所、吉野敬介先生が授業で扱う雑談テーマの年間スケジュールを立てていたという話は有名であるが、雑談は集団授業だからこそ通用する。個別授業は中身の学習に全精力を注ぐのみだ。それでは息が詰まるではないか、という意見もあるだろうが、そこは科目の切り替えで対処する(ここの硬軟の調整は指導者の職人技を要する)。

集団授業ならば、遠くにいる先生が雑談をすることで、気持ちの上では先生に対する親近感をおぼえる。しかし、先生はあくまで皆大勢にとっての先生で、先生の立ち位置はやはり遠い。だからこそ集団授業での「雑談」は生徒と先生の距離感を和らげる効果を生む。

個別授業で雑談を垂れ流してしまったら、それは単なる私語でしかなく、生徒は先生を自分の友達のように錯覚してしまうから、甘えが始まってしまう。辞書を調べれば自力で解決できることも、それを怠るようになり、すぐ先生に頼ろうとする。頼られた先生は、自らが壊してしまった距離感を復元させることが出来ずに、生徒の言いなりになってしまう。主従関係が逆転してしまうのだ。いざという時に毅然とした指導が出来なくなる。

個別指導、または家庭教師の失敗する典型的なパターンはここにある。これは教える側にとっても学ぶ側にとっても非常に大事なポイントだ。個別指導においては先生の笑顔など要らない。むしろ仏頂面で良い。生徒を無理して誉める必要もおだてる必要もない。中身の学習指導に軸足を置いて、次にどの一手(教材、内容、進度、レベル)を打ち出せば効果が得られるかということだけに指導者は全力を注ぐ。

外見では生徒に冷たいように見せながら、生徒の一挙手一投足を観察して、その生徒の特性を冷徹に見抜き、最終的に本質にかなった指導をすることが、最大にして最高の目的だ。先生の顔色を気にしないと勉強が進められない生徒に仕向けてはならない。先生と生徒が仲良くなるのは卒業後で充分だ

以下は”雑談”。
私が日暮里の駅前のとある家庭で家庭教師をしていた頃。その生徒は私に声が掛かる前に別の家庭教師会社で複数の体験授業を行っていたらしいのだが、その中には初対面の初めての授業にも関わらず、ポテトチップスの菓子袋を持参して、生徒と先生の二人きりになった時点で「食べようよ」と講師が言ってきたそうだ。この講師は、生徒との距離を縮めたくて必死だったのかもし2020年2月7日…。

これには生徒もびっくりしたそうだが、学生でも立派な講師を務め上げる人物もいるが、こういうロクでもない人間が家庭教師として多数派遣されているのも、家庭教師業界の現実の一端である。