私が公共の場で心掛けていることは、周りの人に迷惑をかけないことです。
最近は、電車の中で化粧をしたり、ヘッドフォンからの音もれを気にせずに音楽を聞いたりする人は少なくなってきていると思います。これはとても良い事です。しかし、まだ完全にいなくなったわけではありません。人類の中には確実に逆の事をする人がいます。なので、そういう事を思わせないようにするためにまず、自分が正しい事をしていかなければならないと思います。それらをするにはまず、音楽を聞くならば音もれがしないタイプのヘッドフォンにしたり、出来るだけ音量を小さくするなどがあり、他にも大きいタイプのバッグを持っているならば、上の場所に置いたり、携帯電話の電源はオフにしておくなど、その場で気づけばとても多くのマナーを守ることができると思います。今、マナーを破っている人は「人のふり見て我がふり直せ」という言葉を知ってほしいと思います。
塾生の中3、S・K君が先週授業中に書いてくれた作文である。ジャスト400字。
私はこのなかで「人類の中には確実に逆の事をする人がいます」という文言にしびれてしまった。なかなか良い目線、名言である。
「人類の中には確実に逆の事をする人がいます」
恐らく、どこからか引用してきた言葉でもない。また、こういう言葉を教えてくれる人もいないはずだ。つまり、彼自身が自分の感性の中からつむぎ出した言葉なのだろう。この慧眼(けいがん)を見逃すわけにはいかないと思い、今日はこのS・K君の作文を引用させてもらった。彼はいつも素朴な文章を書くのだが、得てして本質的なことをサラリとワンフレーズ織りこむところがある。そういう本質を見抜く洞察力を持っているのだろう。こういう文章は意外と大人でも書けないものである。
よくよく読み返していくうちに、「最近は、電車の中で…少なくなってきていると思います」の部分も、一般論にとらわれていないと思った。普通だったら、「最近は、電車の中で…増えていると思います」と書くだろう。これが私の嫌いな「正論」にとらわれた、思い込みを当たり前とする感覚だ。しかし彼は、その逆を書いている。実際に「少なくなってきている」かどうかは統計を見ていないので真偽は分からないが、私から見たら事実ではないかと思われる。
つまり、教科書にのっているような当たり前の言葉(正論)を自分のものと錯覚して言葉を発するのではなく、あくまで自分の皮膚感覚から出た言葉のみを抽出しているところに、彼の独自性、魅力および将来性を大いに感じてしまうのである。本当に素晴しいことだ。