大切なことは何か

後期入試で合格した生徒について書いてみる。その生徒の最終授業日が発表日と重なった。夕方、生徒が来塾するが、こちらから「どうだった?」と尋ねることはしない。あくまで生徒が自発的に報告することが大切だからだ。

しかしその生徒は最後まで合否について発しない。私としては万が一不合格ということも有り得るので、話題に触れないままにしておく。「じゃあ、これでおしまい」当日の授業内容を全て終えて最後の連絡ファイルを渡した時、「先生、合格しました」。

私は何かがプチンと切れた。そこには喜びも何も無い。「そういうことは最初に報告すべきであって、不合格ならばともかく、最後の最後になってそれを言うのはおかしい。もういい。君に用は無い。帰りなさい」

これで、その生徒に対する私の「高校受験」は終わった。

こういうことは初めてではないので、私にとって決して想定外ではないし、免疫が出来ているといえば出来ていると言えるのだが、これまで1年間、人としての振る舞いについて神尾塾として出来る限りの指導を注いできた最後の最後にこういう状況になるということは、完全に私の敗北であるし、ただ単純に、悔しい。

後期合格した高校は、その生徒にとって高嶺の花であり、これまで無理と周囲から言われていたにも関わらず最高の結果を手にしたのは事実である。嬉しくはないのか?それでも尋ねられなければ答えられないのか?自分から思わず言ってしまいたいくらいの嬉しい結果ではないのか?そういう「人間の感情」を持ち合わせていないのか?

その生徒は特にこの半年、強制自習を組み、持ち前の根気を生かして毎回長時間の授業をこなしてきた。それでも今思えば強制自習を組まねば自習出来ないような「受け身」の生徒は、どこまで行っても「受け身」なのか。

また、当初入塾を依頼してきた母親はなぜメールの一本も寄越さないのか。「ごあいさつ」も「お菓子」も要らない。ただ一本、「おかげさまで合格しました」この一行を伝えるだけで済むこと、これが「人間の情」ではないか。

この生徒の例だけでなく、
この近年、特に今年、合格が決まった、合格が見えてきた、という段になってサーッと潮が引いたように塾に対する対応がおそろかになる家庭が増えてきたように思う。ひどいものになるとメールに返信しない、電話に出ない、というのもある。

先日紹介した、H君・T君のご家庭のように人間の情にあふれる対応を最後まで貫いて下さるご家庭がおられるのに対して、その180度正反対の、まるで動物のような、それこそ空腹の時に「餌くれ、餌くれ」と寄ってきて、腹を満たしたらプイとそっぽを向いて知らん顔をするその辺の犬猫のような、情を持ち合わせないロボットのような、そういう人が真逆の現象として増殖しつつあることも事実のようである。

昨年S塾との統合で痛感したが、神尾塾でこういう状況だということは、他塾はもっとひどい状況なのだろうということは容易に察しがつく。だからこそ塾業界としてはますます形式的で、商業主義的・機械的な業務しかしなくなるという、みんなで首を絞め合っているという残念な悪循環が加速しているように思う。

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kamiojuku