緊張ばかりするのも疲れるが、かといって油断は失敗を引き込む元になる。
神尾塾では生徒と必要以上のコミュニケーションを取らない。ベラベラ話すのは卒塾後でよいと考えている。というのは、よほど人間の出来上がった生徒でない限り、一度緊張関係を崩してしまうと、生徒は必ず油断をする。例えば、ほんわか明るい雰囲気で途中に会話をおり込みながら授業時間を過ごしたとする。すると、その次の回の確認テストではその生徒は満点を取れないことが多い。むしろ、満点どころか練習もロクにせずに来塾することすらある。
これは何かというと、油断をするのだ。
この点のメリハリが区別できない生徒は多いので、安易に先生と生徒がコミュニケーションを取ることは指導効果上のリスクとなることがほとんどである。
昔、私が小学生の頃に、市進学院の浦安教室に通っていた。まだ地下鉄やJRの主要駅にしか市進学院がなかった頃の話だ。そこで赤坂先生というとても穏やかで温かい雰囲気の先生の授業を毎週受けていた。授業をしながら雑談にも花を咲かせたり、雑談にのってくる生徒には「○○ちゃん」と呼んだり、生徒との垣根を低くする事に努めておられたと思う。まだ穏やかな時代だったので、女の子のグループと先生が休みの日に待ち合わせて一緒に公営プールに遊びに行ったり、ということもあったようだ。
しかしある日、その赤坂先生が、突然キレた。
先生と生徒が仲良くなった分、次第に授業のコントロールが出来なくなった挙句、背筋も凍りつくほどの激しい怒りで先生はコントロールのきかなくなった生徒たちを怒鳴り始めた。私はその先生の怒りの場面だけを今でも鮮明に覚えている。
今、自分が生徒に向き合う立場になって思うことは、先生が生徒に油断を許してしまった。これが大きな間違いだったということだ。
中学生になると、門前仲町の東日本橋進学教室に3年間通っていた(当時より規模は縮小してしまったが、今でも主宰のマサキ先生はご活躍中!)。そこでも記憶に刻まれているのは、講師の先生が相好を崩す(にこやかになる)と生徒が乱れる、先生がビンタする(そういう時代だった)、しばらくの期間空気がしずまる、先生が安心する、先生が相好を崩す。このローテーションだったように思う。
今は封建主義的な考え方が日本人から抜けつつあるので、上下関係の区別のつかない人間も増えており、昨今の学校の学級崩壊も含めて、病んでしまう先生は学校・塾を問わずますます増えるだろう。
神尾塾に関しては、塾は生徒が勉強をして、より成績を上げる、学力を高めるという塾本来の目的に沿っているだけなので、そもそもの大前提から、「なぜ塾で私語をする意味があるの?」と塾で私語をすることが本末転倒であるようなことを生徒自身が悟れるような教室づくりに努めている。実際、怒られるから私語をしない、というビクビクしたような後ろ向きの考えからではなく、「塾で私語をする意味がわからない」という価値観が生徒自身の中に根付いているだろう。
まあ、本当に油断というのはもったいない。油断している人間が確認テストを再テストしている間に、油断しない(自分を強く制御できる)人間は確認テストをバシッと仕上げて次の世界に進んでしまう。
先をゆく人間がなぜ先をゆけるのか。その理由は単純にここにある。
人生も一事が万事、このようなものだろう。