学力とは気付く力


思いやりとはそういうことであろうし、そのためにこそ日常の一つひとつの人生経験に対峙したり、読書や勉強と向き合って感性や頭脳の鋭敏さを磨くことが大切なのだろう。

と、先週書いたが、
「思いやり」とはズバリ「気付く力」である。気付く力のない人間に思いやりは生まれない。

色々なことに気付き過ぎてしまって、気疲れして精神的に消耗するのも問題だが、気付きの薄い人間もまた問題である。

数学の問題を解くことは、「ここで正弦定理」「ここで解の公式」「ここで面積の公式」のように必要な公式に気付いて、使いこなすことの連続であったりする。

つまり、「ここで余弦定理だ!」と適切な公式に気付くか気付かないか(ひらめき、とも言う)で解を導けるかどうかが変わってくるし、更に得点も変わってくる。勉強の得意な人間は記憶の引き出しが柔軟であるので、その場に応じて臨機応変に必要な道具に気付いて、それらを引き出すことが出来るのだ。

神尾塾の小学生には「数独」を授業中に解かせることが多いが、これも紙面いっぱいに視野を広げながら、どの数字を当てはめるか、という気付きの連続に他ならない。数独は気付きの力、視野の拡大、注意力、短期記憶、スピード感、ゲーム性、といった脳の活性にもってこいである。つまり頭の回転が速くなる。

視野を広げる、注意して見る、ハッと気付くという循環を繰り返すこと、仕事の出来る社会人はこの類が活発化している人であり、そういう意味でも学校で学ぶ5教科には頭の回転を鍛える訓練がふんだんに含まれている。

気付きの力を鍛えていこう。