古語と現代語の交錯~方言の世界

熊本日日新聞(くまもとにちにち=くまにち)の9月30日朝刊。
読者の投書コーナー「熊本弁まっだし」から読んでみよう。看護師の方が投書している。

私の住んどる宇土半島ちゅうたらえらい所だっちゅうこつば、土地の高齢者から教えてもらいました。推古天皇の時代に馬門石で作られて海を渡ったていう「大王の棺」、景行天皇が立ち寄らしたちゅう永尾(えいのお)神社やら御輿来(おこしき)海岸、「不知火(しらぬい)」の名の由来などなど。

ほかにも宮本武蔵さえもビビったちゅう「丸目蔵人」ゆかりの墓があったり、農業の先駆者「松田喜一先生」も宇城の出身。彼の方々も同じ熊本弁で話よらしたでっしょね。先人方から地域の話ば聞き出すとが楽しみで、また皆熊本弁丸出しで喋らす姿がまたまた嬉しゅうして、話が弾みます。

「熊本弁な都言葉が伝わってきたっぞ」ちゅう投稿がありましたね。「そう、ほんなこつ!」と膝ば叩いたもんですたい。そんな中で地域の替え歌のできました。東京音頭のメロディで歌うとですが、舞台は地元。デイサービスでのテーマソングですたい!

♪ハアー、寄せては返して、チョイト返して寄せてヨイヨイ…(以下略)

♪ハアー、おどんが〇〇(施設の名)、チョイトよかもんの波止場ヨイヨイ…(以下略)

熊本弁に替えて作った「ドンパン節」もあるとですよ。おたく方も作ってみなはりまっせ。新鮮な、我らが歌になっとがなんとも嬉しゅうして、賑わっとります。

「熊本弁まっだし」というのは「熊本弁丸出し」という意味である。
私は東京の出身であるが、私の場合は標準語というよりも「江戸弁」である。「テヤンデー、バーロー(何言ってやがるんだい、馬鹿野郎!)」の江戸の火消しが使っていたような乱暴なニュアンスが入っている。

で、そういった東から西の言葉を見た時に、日本語の古語が西の方言に残っていることに気づく。

抜粋した中の「そんな中で地域の替え歌 “の” できました」の部分。今で言えば、「そんな中で地域の替え歌 “が” できました」である。確かに高校入試の古文の問題で「の」を「が」と現代語訳させることが多い。

地方の方言を聞いていると、さりげなく古語と現代語が交錯しているような場面に出くわすことがある。とすると古語というのは過去の遺物ではなく、今まさに生きている言葉でもあると言えるのだ。「勉強が面白くなる」と感じるのは、そういう所からだろう。