感じの良い人

どのような場合でも、何かを言われたら必ず返事をする。
ということを当塾に入ると生徒はさんざん指摘される。で、当初こういった感想を持たれる。

勉強するために入塾したのに、なぜ返事や挨拶で注意されるの??と。
「当塾あるある」 の一つだが、返事のできない生徒で勉強ができる生徒を私は見たことがない。また、返事のできない生徒でその後成績の伸びた生徒も見たことがない。

つまり、返事の出来る生徒は勉強のできる、または成績の伸びる必須要件だといえる。

何故かというと、「返事」は相手の話を聞いているから出来るわけで、リスニング力も示していることになる。聞く力のない生徒に勉強はできず、聞けているからこそ「はい」と返事が出来る。国語や英語だけでなく、数学・理科・社会の授業もリスニング力がなかったら先生の授業も頭に入っていかない。

という実用的な「はい」の意味と、もうひとつは処世術として返事のできる人間は印象が良い。「感じの良い人」の必須条件は「返事」の出来ることである。

先週コンビニの話題を書いたが、私はお店に行ったとき自分が客面(づら)をすることなく、店員さんと極力平等な立ち位置で、「お願いします」「有難うございます」「御馳走様」といった声かけをする。すると、相手の店員も人間だから、まともなコミュニケーションがとれる客だと嬉しくなる。例えばクリーニング店だったら、

店員「割引のハガキお持ちですか?」
私「あ、いや忘れちゃって」
店員「割引適用しておきますね」

そういうこともあるかもしれない。
仮に私が「客だから客として扱え」的な横柄な態度に出ていたら、相手の反感を買うから

店員「割引のハガキお持ちですか?」
私「いえ」
店員「次回お持ちください」

で済まされてしまうかもしれない。

このように、人間社会は一事が万事【裁量】でその結果が変わってくる。
会社経営で銀行がその会社に融資をするかどうかを決める際、社員が時間を守る、規律ある行動をしている、ハキハキと返事が出来ている、そういう所を見てきちんと出来ている会社だけに融資をするという話を聞いた。

なので、「返事をしろ」というのは、それが出来ることによって「あなた自身の身を守る(高める・得をする)ことになる」のだよ、という意味も含んでいるのだ。

このように、人間の学びというものは奥が深い。