貞観政要

『貞観政要(じょうがんせいよう)』は日本における飛鳥時代、中国では当時唐の国。名君であった太宗(たいそう・在位626-649年)とそれを補佐した名臣たちとの政治問答集。本家の中国だけでなく、日本においても帝王学の教科書として鎌倉時代の北条政子、徳川家康、吉宗も愛読し、明治天皇もこの書に深い関心を寄せられた。


■太子に対する実地教育
貞観十八年、太宗が側近の者に語った。「近頃、太子を定めてからは、できるだけ機会をとらえて、太子教育につとめている。たとえば、こんな具合である。

「そなた、今、食しているものがどのように作られるか知っておるか」「知りませぬ」「これはすべて人民が額に汗して作るものじゃ。だから、農繁期には人民を使役(しえき)にかり出してはならぬ。さもないと、いずれは、食事にも事欠く始末になるぞ」

「そなた、馬とはどういうものか知っているか」「知りませぬ」「馬というのは人の代わりに働いてくれるものじゃ。だからいつも痛めつけてばかりいないで、時には休息させてやる必要がある。そうすれば、いつまでも人間のために働いてくれる」

「舟とはいかなるものか知っておるか」「知りませぬ」「よいか、例えていえば舟とは君主のようなものだ。そして、舟を浮かべる水は人民のようなものである。水はよく舟を浮かべるが、時にはひっくり返しもする。そなたもいずれは君主となる身じゃ。かりそめにも人民をあなどるようなことがあってはならんぞ」

「そなた、この木を知っているか」「知りませぬ」「見るとおり曲がりくねっているが、こんな木でもきちんと縄墨(じょうぼく)をあてさえすれば、まっすぐな木材になる。それと同じように、もともと無道な君主でも、臣下の諫言(かんげん)を聞き入れれば、立派な君主になれる。このことばを、よくかみしめてみるがよい」

→この項をピックアップしたのは、この目にするもの耳にするもの、すべてを説いて聞かせる機会に転じさせることができるのだ、と太宗が教えてくれているから。


■歴史家(史家)の使命感
(解説)中国人は記録を大切にしてきた。一般の人々でも、文字を記している紙切れをけっして粗末に扱わなかったという。「文字の国」といわれるゆえんである。

→まあ本当に、今では道路に文字やイラストが貼り付けられてその上を人々が平気で歩ける時代である。私はどうしても抵抗があり、文字や顔のイラスト部分は必ずよけて歩く。現代人だったら江戸時代の天草・島原の隠れキリシタンの絵踏みも平気でやってのけるのだろう。


■国家の法令は簡約(かんやく)なるべし
国の法令は単純明快であるべきだ。一つの罪を数カ条にわたって記載してはならぬ。そのような煩瑣(はんさ)な規定をすれば、係官といえども、ことごとく記憶することはできない。また、かえってそれにつけこむ輩(やから)も現れてこよう。また、しばしば法令を変更するのは、世道(せどう)人心(じんしん)の不安を招くもとであるから、一度定めた法令は、やたらに変えてはならぬ。また、法令を制定する際には、慎重に条文を検討し、曖昧な規定は避けなければならない。

→これは親子でも、上司と部下でも通じる話で、ルールは極力シンプルにして、それを分かり易く守らせることが大切。「ああしなさい、こうしなさい、またこうしなさい」と指示をしてもそう全部スッと相手に入るものではない。またルールを定める側は、一度定めたルールを安易に変えないこと。長く使い続けられる(普遍的な)ルールを、先を見通しながら熟慮して決めることだ。

神尾塾でいうと、入塾時に適用した費用体系を卒塾まで、またはご兄弟が入塾し卒塾するまで適用する。そのご家庭に対して途中で体系を変えることはしない。白州次郎ではないが「プリンシプル(筋を通す)」ことが大切である。


■自己推薦制の是非
貞観十三年、太宗が側近の者に語った。
「天下の政治を安定させるためには、すべからく賢才(けんさい)の登用をはからなければならない。ところが、そちたちはいっこうに賢才を推薦してこない。これではいつまで経っても賢才を手に入れることができない。そこで、人材の登用にあたっては自己推薦制を採用しようと思うが、どうだろうか」

魏徴(ぎちょう:太宗に仕えた政治家)が答えた。
「自分を知る者は真に明智の人である、と古人(こじん)も語っています。人を知ること自体容易なことではありません。まして、自分を知るということは至難の業であります。世間の暗愚な者たちはとかく自分の能力を鼻にかけ、過大な自己評価に陥っているものです。売り込み競争だけが活発になりましょう。自己推薦制はおやめになったほうが賢明かと心得ます」

→これ、何がおもしろいかと言うと、現代は自己アピール(セルフプロモーション)全盛の時代ではないか!就職や大学入試も自己推薦、ツイッターやフェイスブックといったSNSも見方によっては自己推薦の嵐なわけだ。悪く言えば自分を飾り、他者を批判し、いかに自分をアピールするか。こんな調子で自分が自分が、という人間を殖やしている現代を太宗や魏徴はどう見るか。

私個人でいうと、7年前まで個人名でツイッターのアカウントを持ち、「ちょっと変わった塾ね」ということでそこから入塾してくださったご家庭もあった。しかし、自分の顔と名前をリンクして晒すことについて、必ずしも世の中には自分に対して好意的に見る人間ばかりでない、むしろ悪意をもって見ている人間もいるということをある時悟った。そこからはそういう顔売り・名売りの世界に入ることは絶対にしない(顔売り・名売りはアホらしい)と決めた。今後もそれは変わらないだろう。

出典:「貞観政要」呉兢(ごきょう)・著、守屋洋・訳、ちくま学芸文庫