分からないなら教えない

「先生、分かりません」「問題文よく読んだ?」「読んでません」

「先生、分かりません」「図描いてみた?」「描いてません」

こういうケースは基本的に「教えない」。生徒の右の耳から左の耳に教えたことが通過して抜けてしまうから、教えても意味がないことが明白なのだ。数学の入試問題(または模試)であれば、ズラッと文章が並び、一見して取り組みにくいものが大問3から4あたりに含まれる。この時、問題文を読もうともせず、見た目の分かりにくさだけで「分かりません」と生徒が言ってくる場合がある。

これは残念ながら生徒自身の「問題を読んでみる」という基本的な【根気】の部分に関わるものなので、仮にこの1問を教えながら一緒に進めたとしても、次の問題でまた見た目の取っ付き辛さだけで「わかりません」と発してくるのが目に見える。従って「そっか、じゃあその問題は飛ばそうか」と指示することも有り得る。

「先生、分かりません」「ほう、どこまで分かった?」「ええと、この図のここまで描いてみたんですけど」「なるほどね、そうしたらその先はこうやって・・・」と初めてヒントを出すことが出来る。

人間は自分で気づいたものしか自分の中に吸収することが出来ない。ヒントを出す、答えを見出す、ヒントを出す、答えを見出す、この連続が大切だと私は考えている。料理だって他人から与えられたものを食べるよりも、自分で試行錯誤して作った料理の方が、美味いかどうかはともかく、味わい深いに決まっている。