なぜ月謝というのか

先ほどのK・Cさんの作文で「塾の月謝を払ってくれる両親と」と、月謝という言葉が出た。近頃は月謝という言葉が使えず、「先生、集金を持ってきました」と言ってくる生徒も少なくない。なぜ月謝と言うのか。そのルーツを新渡戸稲造の「武士道」(岩波文庫)に求めてみよう。

—(抜粋ここから)
◎教育の主目的は品性の確立にあった。単に博学なるの故をもっては、多くの崇拝者を得なかった。(P.96)

◎知識でなく品性が、頭脳でなく霊魂が琢磨啓発の素材として選ばれる時、教師の職業は神聖なる性質を帯びる。「我を生みしは父母である。我を人たらしむるは師である」。この観念をもってするが故に、師たる者の受くる尊敬は極めて高くあった。かかる信頼と尊敬とを青少年より喚(よ)び出すほどの人物は、必然的に優れたる人格を有しかつ学識を兼ね備えていなければならなかった。彼は父亡き者の父たり、迷える者の助言者であった。語に曰く、「父母は天地のごとく、師君は日月(じつげつ)のごとし」(実語教)と。

あらゆる種類の仕事に対し報酬を与える現代の制度は、武士道の信奉者の間には行われなかった。金銭なく価格なくしてのみなされうる仕事のあることを、武士道は信じた。僧侶の仕事にせよ教師の仕事にせよ、霊的の勤労は金額をもって支払われるべきでなかった。価値がないからではない、評価しえざるが故であった。この点において武士道の非算数的なる名誉の本能は近世経済学以上に真正なる教訓を教えたのである。けだし賃銀および俸給はその結果が具体的になる、把握しうべき、量定しうべき種類の仕事に対してのみ支払われうる。しかるに教育においてなされる最善の仕事-すなわち霊魂の啓発(僧侶の仕事を含む)は、具体的、把握的、量定的でない。量定しえざるものであるから、価値の外見的尺度たる貨幣を用うるに適しないのである。

弟子が一年中或る季節に金品を師に贈ることは慣例上認められたが、これは支払いではなくして献(ささ)げ物であった。したがって通常厳正なる性行の人として清貧を誇り、手をもって労働するにはあまりに威厳を保ち、物乞いするにはあまりに自尊心の強き師も、事実喜んでこれを受けたのである。彼らは艱苦(かんく)に屈せざる高邁(こうまい)なる精神の厳粛なる権化(ごんげ)であった。彼らはすべての学問の目的と考えられしものの具体化であり、かくして鍛錬中の鍛錬として普(あまね)く武士に要求せられたる克己の生きたる模範であった。(P.97)
—(抜粋ここまで)

指導者という立場の人間のあるべき人物像を明確に説いている。江原啓之さんが初期の頃に人生相談を受けていた頃、「お気持ち」でいいですよ、と言っていたら本当に少額の「お気持ち」しか持参しない相談者が続出し、自分は霞(かすみ)を食べて生きているわけではない、このままでは死んでしまうと価格表を用意するようになったとの話を記憶している。

実際、そういう流れで各種の教授業はプライスリストを設けることになったと言えるだろうが、その原点は対価ではなく「月謝」にあるということを忘れてはならないだろう。決して「集金」ではないのだ。