勤勉か、成功体験か

成功体験は頑張るためのモチベーションの種にはなるだろう。しかし、成功体験がなければ頑張れないのか。うまくいった経験がないから頑張ろうと思えないのか。

やはり、鍵は「勤勉」であるかどうかだと私は思う。

近年、各地の小学校から二宮金次郎の銅像が撤去されているらしい。または座像に置き換えられているらしい。それは歩きながら本を読むことは「歩きスマホ」に繋がって危険だからとの理由。そんな幼稚な理由でよいのか??

二宮尊徳(幼名が金次郎)は幼い頃に両親を亡くしたため、父方の伯父に預けられて育った。しかし夜、油に火を点して勉強をしているとその伯父から無駄な油を使いやがってと罵倒された。仕方なく、金次郎は毎日山に干し草や薪を取りに行く道中で歩きながら本を読んだというわけだ。

これを「勤勉」と受け止めることも出来るが、学問への強い熱意と、時間を無駄にしない合理性。この辺りが後年の農政指導者としての尊徳の原点となっているといえるのだろう。

「キュウリを植えればキュウリとは別のものが収穫できると思うな。人は自分の植えたものを収穫するのである」
「誠実にして、はじめて禍を福に変えることができる。策術は役に立たない」
「一人の心は、大宇宙にあっては、おそらく小さな存在にすぎないであろう。しかし、その人が誠実でさえあれば、天地も動かしうる」
「なすべきことは、結果を問わずなされなくてはならない」

これは内村鑑三の「代表的日本人」(岩波文庫)に書かれている尊徳の言葉で、勤勉さということはすなわち「誠実さ」だということが強く伝わってくる。

ということは、成功体験がなければ頑張れないというのは単なる甘ったれで、まず人間としての前提に「誠実さ」があるかどうか。課題に向き合う誠実さ、目の前にいる人物に向き合う誠実さ。この誠実さが集合して、その人の中に「勤勉」という2文字が醸しだされてくるのではないだろうか。