◎第1条「漢字・送り仮名は正しく書く」
これは基本中の基本。漢字の読み書きの練習は誰にとっても必須である。例えば「嫌いな」と書きたいのに「鎌いな」と書いてしまった中3生。こういったミスは単純に恥ずかしい。他に「比べて」と書くべきところを「比らべて」、「入る」を「入いる」と書いてしまうことも同様。
◎第2条「正しい言葉づかいは日常から」
「めんどうくさがらずに」という言葉を「めんどくさらずに」と書いた生徒がいた。「面倒(めんどう)+臭がる(くさがる)」という言葉の構造を理解していないためであろう。また、大人になっても「おっしゃるとおり(○)」を「おっしゃるとうり(×)」と書いてしまう人はたまに見かける。「申し訳ありません(○)」を「申し分けありません(×)」と書く人も少なくない。国語が特に苦手な生徒に見られる所では「言う」について「いう(○)」を「ゆう(×)」と書く生徒もいる。少しレベルを上げると、「とてもよい(○)」を「とてもいい(×)」と書いてしまう場面も見られる。「いい」は話し言葉なので、作文の書き言葉では、あくまで「よい」が正しい。『書き言葉』と『話し言葉』を区別することが大切である。
他に、「一つずつ(○)」を「一つづつ(×)」と書く人も増えているが、あくまで「ずつ」を使いたい。「すいません(×)」も「すみません(○)」である。新聞や本、テレビやラジオ、家族の会話であったり、正しい日本語に触れる機会を日常のなかに是非持つように心掛けたい。言葉づかいの誤用は、相手に幼稚な印象を与えてしまう。
ただし、だ。古い読み物を見ていると「分かる」を「分る」と書いてあったり、現代の使用法と異なる表記も少なからず見られる。道路標識では「速度を落とせ」を便宜的に「速度を落せ」と書くこともある。また、テレビ・ラジオでの言葉の誤用も最近増えているように感じるが、「言葉は時代とともに変化する」というような美しい原因ではなく、発言者の単なる学習不足ゆえの誤用による間違った言葉の普及という問題もある。
◎第3条「主語と述語を対応させる」
「私は掃除をすることはとても大切なことです」…このような文章は、作文練習を始めたばかりの中学生に見受けられる。主語と述語を抜き出してみると「私は大切なことです」となり、主・述が対応していないことが分かる。作文においては「主語と述語を意識させる」ことが大切であり、『主語と述語は文章の骨格で、そこに修飾語を肉付けするのだ』という意識を植えつけることが指導においては最も効果的となる。
◎第4条「5W1H」
さらに「5W1H」、つまり…『Who(誰が)、What(何を)、When(いつ)、Where(どこで)、Why(なぜ)、How(どのように)』
これが各文章に埋め込まれているかどうかを検証させることで、文章がより具体的になり、相手に内容が鮮明に伝わりやすくなる。「検証」と書いたが、作文は「校正こそが肝心」であり、書いた後にはまず生徒自身に読み返させ、不備不足の気づいた点を色ペンで記入させる。その後指導者が添削し、清書させる。作文が一定の質に高まるまでこのフィードバックを繰り返す。作文は漬物と同じで、一晩寝かせた後に改めて校正するのもよい。練れば練るほど読みやすく、濃い作文に仕上がっていくはずである。
◎第5条「同じ表現を多用しない」
これも作文指導の初期に注意することだ。「…と思います。…と思いました。…と思います。」この生徒は200字の作文に5回も「思います」を使っている。あえて「思います」を多用して詩的に表現する方法も全く無い訳ではないが、これは難度が高い。まずは表現の多用を避けて、他の言い回しに『逃がす』ことを学習させたい。「…と思います。…でしょう。…と考えました。」ざっと、これだけでも一本調子から外れて、文章の魅力が増してくる。
◎第6条「句読点は呼吸点」
『、』はひと呼吸、『。』はふた呼吸。これを覚えておきたい。
伝統芸能の講談では張扇(はりせん)で釈台を叩きながら話を進めていくが、この時1回叩いたら『、』、2回叩いたら『。』の意味となっている。句読点の間合いを視覚化しているのが講談である。先ほど「校正」の話を出したが、文章を読み返すときに「ひと呼吸」「ふた呼吸」の間合いを意識しながら「、」「。」を適切に配置していけば、リズムとテンポのよい流れるような文章に仕上がっていくことだろう。
ちなみに昔の読み物には句読点が使われていなかったりする。句読点なしに文章を読みこなしていた日本人の読解力は大したものである。現代は句読点がないと文章が読みづらい。それだけ現代人は読解力が劣っているということなのかもしれない。