お正月

今年はご家族で神社に見える場合だけでなく、塾生自身がたった一人で神社にお参りに来た例も数名あり、これについては正直な感想として「偉いなー」と思った。塾としてこの場所に来るのならば一人で行動するのが当然だが、神社として稼動しているこの場所にたった一人でお参りに来てくれたということは、当然不安もあったであろうし、勇気も要ただろうと思う。そういう生徒の弥栄(いやさか)を願わずにはいられないのが人間としての心情というものだ。

また、日頃連日のように塾生を見ていると身長や顔つき、精神的な変化というものに気づきにくいものだが、ある塾生の昨年正月の様子と今年の正月の様子を比べて、改めてその成長ぶりに目を見張ってしまったりする。これは塾生に関わらず正月に恒例で神社に参拝に来る近所の子供もいるので、彼らを見ながらそれぞれに背が伸びたり顔つきが大人びたり、この1年の成長を感じることに共通している。

さて、塾ではなく神社全般の話題としては、
神社での参拝の仕方が分からない人が年々増えているのも事実だろうと思う。

神社では一部の地域・神社をのぞいてほぼ全国共通で
『二礼二拍手一拝』という形式を覚えておけば良い。これは2回お辞儀をして、2回手をたたいて、1回拝礼をする。これだけだ。

もっと言うと、先にお賽銭を入れて、鈴があれば鈴を鳴らし(鳴らすか鳴らさないかは個人の趣味の問題)、そして二礼二拍手一拝。

そして付け加えると、お賽銭は放物線を描くような放り投げ方は絶対にしないこと。犬猫にエサをやるわけではないので、あくまで賽銭箱に手をかざしてそっと手を離す。

あと、二礼二拍手一拝に瞬間瞬間の心を集中してこめればよいので、長い時間手を合わせたままジッと神前で止まっているのも、後ろに人が居なければよいのだが後ろに人が並んでいるような時は自己中心な行動にならないよう戒めたい。

スピリチュアルブームとかご利益(りやく)主義のようなもので「お願いごとをする」ということについても、現在では「神社=お願いごとをする場所」のように一般的には思われているようで非常に由々しきことだと私は考えているのだが、私としては神前ではサッと日頃の感謝を心の中でお伝えするだけで充分だと考えている。

1ヶ月ほど前にTBSのラジオを聞いていたら大沢悠里さんが良いことを言っていた。「神さまの前ではお願い事ではなく、約束事をしよう」と。あれこれをお願いして神さまに押し付けるのではなく、神さまの前で「自分は○○を頑張ります」とか「○○が起こるように努力します」とか、そういう約束事を神さまに伝えるだけでよいのではないかという話。私はまったく同感し、こういう考え方こそ世間に普及していくべきだと思った。

いずれにしても、人間がなすべきことは自分にとって最大限出来る自助努力であり、あとは「果報は寝て待て」で良いのだと思う。自分の中で願いを持つことは正直な話神さまには関係がないわけで、そこに自助努力を添えて、起こるべきことは起こるし、起こらないことは起こらない。そういう淡々とした気持ちで良いのではないかと私は考えている。

話を元に戻すが、今年の参拝の方々を見ていて、理想的な参拝をされる方は全体の1割弱。まあまあのお参りをされている方が4割。残りの5割は拝礼の形になっていないと言える。場合によっては私から参拝方法を説明することもあるが、あまり押し付けがましくすることも好ましくないので、帽子を脱ぐとか、ヘッドフォンを外すとか、そういう超基本的なこと以外は黙って見守るようにしている。

また、例えばお菓子をあげても黙って受け取る子供が多くなった。大人でもまともに口のきけない人も意外と多い。

そういう意味では、塾生の参拝の振る舞いを見ていると、両手でモノを受け取ったり、適切に敬語を使えたり、「有難うございます」ときちんと言えたり、それは『120%』の確率でどこに出しても恥ずかしくない模範的な振る舞いをしていた。私としては内心「ガッツポーズ」である。

平成26年も神尾塾流の指導を継続させていこうと心に誓うのであった。