至れり尽くせりの罠(わな)

新年度、教科書の改訂と同時に塾用教材もリニューアルされる。ということで教材展示会に足を運んでみた。教科書準拠のワークは更にズッシリと重みを増した。全国の中学校の定期テストの傾向も踏まえて、数学でも用語問題を扱うなどますます至れり尽くせりの内容になっている。このワーク教材に書き込んで解き進めればどんどん勉強が出来るようになる!

・・・なんて上手くいく訳が無い。一部の習得の得意な生徒ならば、どんどん書き込んでどんどん頭の中に吸収していくだろう。しかし大多数の生徒にとって学習の要は「反復」である。ここが重要で、一回解いておしまいではなく、如何に何度も何度も同じ問題を繰り返し練習させていくかが勉強の鍵となるのだ。

いま学校の定期テスト前にはワーク提出をすることが当たり前のようになったが、特に英語。ほとんどが穴埋め形式の問題で、そこに書き込んでしまうと後で反復練習が出来ない。しかし書き込まないと提出物として認められない。ワークに書き込ませるのは先生にとって、生徒が取り組んでいるかどうかの確認が容易になるからという利便性のためであって、その後の生徒自身の勉強の利便性は二の次となっている。

ワークついでに書くと、今は定期テスト前といえば提出物ばかりで、自分が中学生の時に一体こんなに提出物がたくさんあっただろうかと思うのだが、おまけにテスト範囲表も2週間前に配布され、各教科の範囲から勉強のポイントまで事細かに記されているではないか。自分が中学生の頃は(都内の区立中学だが)先生が範囲を読み上げるのを連絡帳に書き取っていただけのような記憶がある。

それで、今現在至れり尽くせりのテスト範囲表を生徒たちが読み込んでテスト準備をしているか、と言えば、これまたそう上手くはいっていない。「この子は勉強が上手くいっていないな」と思える生徒に「範囲表どうした?」と尋ねると「学校にあります」というやり取りや、「範囲表に学習のポイントって書いてあるじゃない?読んだ?」「え、まだ読んでません」というやり取りをせざるを得ない生徒は少なくない。(この場合、テスト範囲表を読む、という根本的な読解力の問題が介在していることも否めないが)

先述のワーク教材しかり、テスト範囲表しかり、年々生徒たちを取り巻く環境や道具は充実しつつあるが、それと反比例して、至れり尽くせりになればなるほど、その恩恵に対して無関心な、目の前にあんぱんがぶら下がっていても自分から食べようとはせずよそ見をしている生徒が増えているという残念な現象が起きている。

これは大人でも同じで、医療でも弁護士でも例えば葬儀でも、業者に費用を払って依頼すれば、当事者が直接手を触れなくても業者が代行してそれらを済ませてくれるのであって、当事者感覚が薄くなりやすい時代ということも言えるし、他人事の意識が強くなりやすい時代だということも言える。それらの感覚が低年齢化しているということなので、殊に学習指導においては「生徒自身が頭と手を動かす」という大原則を指導者が常に意識し続けなければ、つい取り組みが形骸化してしまうのである。