知恵をつける方法

物質主義の社会では、自ら生み出すよりも先に何かを与えられる機会が多くなるので知恵も薄くなる。

遊びの場面でも、ゲームやおもちゃを先に与えられるため、自ら遊びを生み出す経験が少ない。自ら遊びを生み出すことについては、この過去記事を見ておこう。

知恵が薄くなると、学習塾ではこういう弊害が出てくる。
生徒が「定規を忘れました。貸してください」と来たとする。そこで私は安易に定規を貸さない。

「まず定規の代わりになるものを探しなさい」とだけ伝える。すると、生徒は予備の鉛筆であったり、辞書の箱であったり、<真っ直ぐで硬いもの>を探して、定規の代わりとして使い始めるのだ。

知恵をつけるとは、こういうことで良いはずだ。
(もちろん、代用品があるならば定規なんかいらないじゃないか、という安直な心理に生徒が進むこともあるので、次回の持参を別途約束させる必要がある)

例えば中3数学の「2次方程式」で、「平方完成をして計算しなさい」と問題に書いてあったとする。

すると、知恵のある生徒は「平方完成が分からないけれど、とりあえず解の公式を使って答えだけ出しておこう」とする。そうすれば、指導側はその後に「平方完成はこうやって計算するのだよ」と正しいやり方を教えることができる。流れがスムーズだ。

一方、知恵の捻出が苦手な生徒は「平方完成が分からないから、この問題自体どうしたら良いか分かりません」と空白で提出してしまう。

この違いって、ものすごく大切なことだと私は思うのだ。

知恵で乗り切った方が良い場面は、社会生活の中で多くあるはずで、とりあえず上手く乗り切る方法を身につけることは、勉強から得られる大きな価値のひとつになるはずなのだ。