私は昔、中学受験で全校落ちた。くもん、明光義塾、市進学院、地元の個人塾、ふくろう博士の家庭教師、他数々の塾に通い(通わされ)続けたのに、である。
今振り返ってみて「当時の私」を「今の私」が指導していれば、合格も含めてまた異なった進路が開けていただろうと思うし、それによってその後の人生が多少なりとも変化したであろうことを考えると、無性に悔しくなる。悔しいと思うのは、当時の周囲にいた大人たち、特に塾や家庭教師は何をしていたのだ?という怒りである。思い返すに、生徒のいる位置まで階段を下り、同じ目線で授業内容、教材、時間割を繊細に配慮、試行錯誤してくれる教師は一人もいなかったことである。
「生徒全員を救う」…私が神尾塾のコンセプトのひとつとして大切にしている考え方だ。学力の安定した生徒も、不振にあえいでいる生徒も、平等に「そこからのスタート」で基礎基本から着実に伸ばしていく。やがて時間はかかっても成績や漢検などの資格取得が伴っていけば、自分の自信にもなるし、将来の選択肢も豊かになる、ひいては「自己肯定力を育む」ことに繋がる。
しかるに、新入塾の生徒を迎えると、その子の状況に愕然とし、これまで周囲の大人、特に学校、通っていた塾は何をしていたのだ?と怒りにふるえることがある。現在の学校、および大手学習塾は、現場の心ある教師の熱意にかろうじて支えられているだけで、システムそのものは完全に崩壊している。特に学力不振の生徒は学校にとっては「スルー」されているのが明白だし、学習塾にとっては授業料を律儀に払ってくれるただの「お客様」である。
私は、塾は人間教育の現場だと考えている。一分一秒授業の無駄を許さず生徒の向上を目指すべく、一人ひとりを踏まえた学習を提供する、宿題は絶対に忘れさせない、遅刻をさせない、気を抜かせない、ルーティンワークにさせない、真剣勝負の現場として私は可能な限り集中力、労力をここに注いでいる。ご家庭から貴重な家計と時間を塾に充てて頂いただけの財産が結果学力も含めた「人間力」として、小3から高3まで在籍生一人ひとりに何かしら確実に残されていくことを、私は確信している。