熊本地震の本震では、熊本市内でも3日間ほとんどのエリアで断水が続いた。
電気は最も早く復旧するが、都市部でも水道は3日以上かかる。ガスは更にその後。
水道が止まるとトイレが流せなくなる。
トイレが流せなくなると衛生が悪くなり、特に女性は男のように外で、なんて出来ない。
風呂も入れないからかろうじて再開した公衆浴場が激混となり、道路渋滞も更に酷くなる。
マンションもエレベータが一度止まるとエレベーター会社の人が駆けつけるまで動かなくなるので、階段で垂直移動するしかない。
これが実にきつい。
ラジオやインターネットの情報を頼りに給水所を探す。
そして食料も枯渇する。全ての避難所に食べ物があるわけではない。行列を作って並んでも食べ物が得られる保証はない。
最低限3日間は自分で持ちこたえられる準備が必要だし、店で買うことに慣れた私たちにとっては当たり前なことが当たり前でなくなるという現実。
そんな中、
街中で被害の少なかった店が地震後数日で商売を再開し、今でも普通に営業している事実。
街はずれで地震後も1ヶ月くらい無償で近隣に炊き出しを行っていた店が地震後1年経って経営が立ち行かなくなり廃業してしまった事実。
こんな矛盾も熊本地震では見せつけられた。
炊き出し、無償の愛を惜しみなく振る舞っていた経営者は今どこで何をしているのだろうか。
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何かに挑戦したら
確実に報われるのであれば、
誰でも必ず挑戦するだろう。
報われないかもしれないところで、
同じ情熱、気力、モチベーションをもって
継続しているのは非常に大変なことであり、
私は、それこそが
才能だと思っている。
羽生善治
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大元の出典は分からないが、インターネット上のあちらこちらで見られた文章だったので、転載してみた。
いろんな矛盾のなかで暮らさなければならない人生の現実。地震の話にストレートに繋がるものではないが、救いのことばである。