知的に理解するための方法

『「時代」を見抜く力~渡部昇一的思考で現代を斬る』(渡部昇一・著、育鵬社)より更に。

—(ここから)

<内在するものを知るために、ばらばらにして見る>

ゼンマイ仕掛けで動くおもちゃの自動車を与えられた男の子が、なぜ動くのかを知るために、それをばらばらにして、そこに内在するゼンマイを発見する。

「ばらばらにすること」は「知る」ことと本質的に関わっており、日本語でも「わかる」というのは「わける」と同根語である。あそこのうちの細君はヒステリーだと言う。なぜヒステリーを起こすのか、その「わけ」を聞いたら「わかった」などと言う場合も、ヒステリーを起こす細君という対象を単に不愉快だ、などと思わないで、その細君に内在する理由を探り当てれば、そのヒステリーの理由が理解できるということである。「わけがわからない」と言うのは、分析不能状態をさす。(P.279)

—(ここまで)

「大和言葉で情を学び」「外来語で知を学ぶ」、その後者における知的な対象を理解するための方法。

「わかる」は「わける」と同根であるから、「わかる」ためには「わける」ことをすればよい。つまり、分からない人というのは「分けていない人」でもあり頭の中が混沌としている。その混沌としたカオスの状況を整理して、区別させることが「分からせる」こと。ある意味、教育の根本的な話である。