人生は自作自演である

「上手くいく生徒」と「上手くいかない生徒」の違い。上手くいく生徒は、その時々のタイミングですべきことを全力でしている。上手くいかない生徒は、すべき時期にすべきことをせずに、タイミングを逃している。「神はディテール(細かい部分)に宿る」という言葉があるが、これを置き換えて「神はタイミングに宿る」と言っても良いだろう。

人生は回転寿司と同じだ、と生徒に話すことがあるが、目の前に皿が次々と流れてくるのが人生だ。どの皿を取るのも自由、逃すのも自由だ。しかし、人生に一度しか回ってこない皿が流れてくることもあり、それに気づける感性を持てるかどうかは、日頃すべきことをすべきタイミングで全力でこなしているか、という一点に他ならない。

今春の県立高校入試で後期受験をすることになった2名のうち、先週号に続いて今週はもう1名の話。

その生徒は最後の最後まで、すべきことから逃げてしまっていた。究極を言うと、「強化と対策」(教材)の理科・社会のA問題を確実に習得しておけば、マーチング演奏が部活動で出来るという、本人の行きたい高校に行けたのに。そういった最短距離でどうすればよいかが指導側から見て明らかに分かる生徒が、本人自身もそのすべきことを認識しているにもかかわらず、自ら進んでその希望から遠ざかる行動をしているのを目の当たりにするのは、残念というより気の毒でならない。恐らく、ご先祖さまも同じ想いで天から見つめているのではなかろうか。

後期選抜の発表当日、その生徒は夜7時を過ぎて塾にやってきた。「先生、合格しました。」「そっか、良かったね。(こういう時に私は<おめでとう>という言葉を使わない)」「今日はこの時間まで何してた?」「発表見て、ご飯食べて遊んでから(塾に)来ました。」「ふ~ん、そうなんだ。」

もはや私が怒りを覚えることもなく、ただそのやり取りを無感情に進めているに過ぎない。上手くいかない生徒は万事こうである。ズレているのだ。ズレがズレを呼び、ボタンの掛け違いが更に程度を増す。自分の行動の結果が自分の境遇にはね返ってくる。こればかりは塾としても如何ともしようがない。人間は自作自演のストーリーを歩んでいるだけなのだ。

(※「遊びに行く前に、塾に報告してきなさい」という指示がご家庭でされていなかったであろう、という所も「ズレ」のひとつであり、やはり気の毒だ。好循環は好循環を呼び、悪循環は悪循環を呼び込むということであろう)