Break the shell of your shelf

(今週は、船橋市立八木が谷中、県立津田沼高校を経て、現在早稲田大学教育学部1年・木村瞭汰君からの寄稿を紹介します)

中学三年の時に神尾塾に通っていて2度の大学受験を経、今年から早稲田大学教育学部に通っている、木村と申します。拙い文章でわかりづらいと思いますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

* * *

大学に入って初めての期末試験が全て終了し、帰りの電車でこの文章を書いている。夏休みの幕開けだ。大学生の夏休みは中高に比べて長いと聞いていたので心を躍らせている。一年前の監獄のような生活とはまるで別世界だ。そう、去年は浪人生としての夏休みであった。大学受験への漠然とした不安と戦いながら毎日を生き延びていた。

まず、なぜ私が浪人することになったかというと、明らかに現役時代の勉強不足、“気づく”タイミングの遅さなどに起因する。努力量が圧倒的に足りないのにもかかわらず、プライドだけは無駄に高く志望校は一丁前であった。秋から冬にかけて勉強の大切さを知りそこから焦ってとにかく知識を詰め込んだ。時既に遅し。そんな受験生活を過ごして結果は実力相応校にしか受からず第一志望には到底届くはずがなかった。

入試が終わった直後に「ああしておけばよかった」と後悔が残っていた。そんな中、実際に受かった大学へ通うか、もう一年勉強して受け直すか迷った。そこの大学には入試の日に初めて訪れ初めて校舎を見た。それくらい真剣に考えてなく、本当に自分の甘さを恨み、落ちてしまった方が楽だったとさえ考えた。大学を出ていない父親が浪人を反対するのは当たり前、「受かったのだからそこに是が非でも行くべき」となんども説得され、圧力がとにかく凄かった。

一方、母親は一年だけならやってみなさい、お金は何とかするからというスタンスでどういうわけか浪人することを認めてくれた。家族会議をしたが、埒が開かないので“仮面浪人”をするという結論に至った。それは大学に通いながら入試をもう一度受けるということで、落ちたらそのままそこで四年間過ごすという保険をかけておけるというスタイルだ。実際に仮面浪人をする人は少なからずいる。だが、三教科—英語、国語、日本史(私立文系を受験するのに必要な科目数)をまともに仕上げることができなかったのに、大学の勉強をしながら受験勉強をするというマルチタスクをこなせるはずがなかった。結局不発になるだろうと確信した。

仮面浪人をすると決めた次の日、受かった大学の入学金を親が振り込みに行くことになっていた。その前夜、あらゆることを考え思索し続けた。そして妥協したことを深く反省した。そのような状態で寝られるわけもなく、朝までずっと起きていた。そこで父親が朝起床するや否や「やはり純粋に浪人させて欲しい、中途半端にしたくない、最低でもMARCHは受かるから」と伝えたら、しぶしぶ承諾してくれた。

今思うと、親によく逆らえたなと思う。たぶん人生において初めてだ。それだけ自分の中に何か強いものがあったのかもしれない。豪語してしまったのだし勉強をすぐにでも始めないわけにもいかない。ということで予備校が始まる一ヶ月前の三月から少しずつやり始めた。来年目指すのは早稲田大学と上智大学に定めた。かなり高めだ、なぜなら自分の高校から現役で受かった人はいないからだ、浪人でもほんの一握り。それに普段の定期テストで学年360人中約300位をとっているような奴が目指していいような大学ではないのは自分でもよくわかっていた。

しかし、いきなり諦めたりするようなことはしなかった。“自分の限界”にチャレンジしたいというのが浪人するにあたって一つのテーマであった。三月中はとにかく早稲田に受かった人の合格体験記をネットで探りまくり、ある程度の計画を立てた。本当に大丈夫なのだろうか、そんなことを考えている暇もないうちに予備校のクラス分けのテストが始まる。振り分けられたクラスの早慶合格者は例年、全体の約3割だが既に後ろの方であった。いうまでもなく5月に受けた模試の判定はE判定。センター試験からほとんど伸びていなかった。わかりきっていたことだがかなり焦った。でも浪人生は最初の模試でかなり良い判定をとるらしいから、かえって警鐘となってよかったのかもしれない。

自分は勉強に関して素質というものを見いだせていないのでとにかく努力、つまり少しでも多く時間を費やした。もちろん予備校で友達など作っている暇もない、片方だけが落ちたらどんなに気まずいことか。6月頃からようやく予備校の生活に慣れ、少し緩んできた。夏期講習の申し込み時期になると、とある英語の先生から「どうせバテるなら早めにバテとけ」と言われたのを覚えている。本当にグッドタイミングであった。夏まで調整しながら勉強するなんて考えは一蹴された。その言葉によって火がつき講師に鼓舞されモチベーションが維持されたのは言うまでもなかった。勉強面だけでなく精神的にも支えられていた。

そのように過ごしていると一学期全ての授業が終わり、地獄の夏休みの幕開けだ。7月上旬からだったので「今年の夏は500時間勉強する!」と宣言し、幸先の良いスタートを見せたかったがなかなかうまくいかなかった。前期の授業をしっかり出たという達成感から、少し怠けてしまった。夏期講習は3講座取り、苦手科目の補強のため必要最低限だけ取ることにした。一般的に平均7〜10取るそうだが復習が追いつかないと思い予備校の商法には乗らず自分を貫いた。それに、自学の方が伸びるという確信があり、あくまで授業は補填用であった。月末に模試があり、自己採点をしたところ大幅に上がっていて、おそらくこの時点でMARCHには受かるレベルにまで達していた。自分の勉強法が間違っていなかったことを実感し、残り約一ヶ月駆け抜けた。

夏休みが終わる頃に模試の結果が返却され、第一志望の早稲田はC判定(50%)、つまりボーダーラインであった。でも現役生がこれから追い上げてくるし、一方浪人生は10月までしか伸びないというのが通念であったので危機感を持ちながら勉強を続けた。それに、夏休みにオープンキャンパスに行き大学の名前が刻まれたタオルを購入し、部屋に飾りモチベーションを維持した。落ちたら友達にあげるつもりでいた。

二学期の授業が始まりクラスの雰囲気も少し緊張してきた。だが自分はいつも通りルーティンを守るだけだ。ぱっと見、授業に出なくなる生徒が増えていった。10月頃に最後の記述模試があり、自己採点をして悔し涙を流したのをはっきりと覚えている。冬前になって英語と日本史は完成に近づいてきたが、国語の偏差値が4月と比べて10〜15落ちたからだ。国語に関しては全国の平均(偏差値50)くらいであった。こんなんじゃ早稲田には到底及ばない。受験する資格すら与えられないといったところだ。

現代文の講師が口酸っぱくなるほど言っていたのが「早稲田は国語で決まる」ということだ。とりあえず早稲田を諦めることを考えた。でもシャーペンを動かすことはやめなかった。せっかく積み重ねてきたのにここでやめるのはもったいない。“できない”ことを自覚することから始まった浪人生活だしと自分を励まし、かろうじて勉強を続けられた。ある現代文講師から言われた「努力を楽しめ」という言葉を反芻した。他方、英語と日本史に関しては全国の上位3%以内には位置していたのでなんとかなるだろうと少し楽観していた。また、授業と並行して過去問も解いていった。昨年落ちた明治大学の過去問などをやったが大丈夫だと思えるくらいにできるようになっていた。

模試では悪かったが過去問では十分取れていたので国語の成績にはそんなに執着しなかった。しかし早稲田や上智となると全く及ばなかった。毎日とにかく朝から晩まで予備校にこもる生活を繰り返していたので成績は上昇し続けた。現役生がどうとかは特に考えることもなかった。冬休み前に授業がすべて終わりなんだか寂しい気持ちになった。それによくわからないが達成感を感じていた(受験は結果論と言われたが)。冬休みも変わらず勉強勉強の毎日だった。習慣というよりかはもはや当たり前になっており、もう去年の自分はどこにもいなかった。精神面でも劇的に変わった。

センター試験の前日に高校の友達が御守をくれた。本当に心の支えとなり、筆箱につけ、テスト前に拝んだ。おかげでセンター本番の試験では過去最高点をたたき出し、もしかしたら早稲田もあるんじゃないかとかなり期待していた。翌日に早慶オープンという大学別の模試の結果が返されたが、定員内にギリギリ滑り込めていたのでより早稲田が現実的になっていた。それに過去問でも英語、日本史は合格点を取れるようになっていたのであとは国語だけであった。やはり15年分も解くと大学ごとのクセ、傾向などがつかめて対策しやすくなるのは確かだ。モチベーションもどんどん上がっていく。

2月に入り一般受験が始まる。最初に受けたのは武蔵大学、結構遠かったイメージ。ここしか受からなかったらもう一浪していたかもしれない。結果は合格。次は上智。自分の中で浪人するからにはどうしても上智には受からないといけなかった。文学部、外国語学部×2、計3学科受験し文学部以外は合格、二浪は免れた。外国語学部ポルトガル語学科の結果が明治大の受験中にわかり、テストに集中できなかった覚えがある。帰り道に友達から電話で「まさかあの木村が」と賞賛された。

次は明治の2学部、去年の第一志望だ。懐かしのリバティータワー、大学受験をするきっかけといっても過言ではない。結果は合格。リベンジ達成。次に受けたのが立教大学。上智の合格があった上に、当日雨風が強かったので受験しに行く気が無かった。でも親に受験料を払ったのだからと説得され渋々行った。結果は不合格、妥当であった。国語・日本史がボロボロだった。

最後に怒涛の早稲田三連続。文、教育、商学部の順番であった。教育学部は第一志望で他学部は記念受験、あわよくばといったところであった。もちろん対策はしたが。結果は教育のみ合格、文と商落ちたのはやはり国語のせいだ。早稲田の発表の仕方は少し特殊で電話でやりとりするやり方であった。2月27日に聞いた「おめでとうございます。合格です。」という声は一生忘れられないだろう。最初は信じられなくて何十回も電話をかけ直した。全力で叫んで喜び、泣いた。これで春から夢の早稲田生になれる。一年間ストイックに頑張ってきてよかったと素直に思えた。こうして浪人生活は幕を閉じた。

* * *

振り返ってみると浪人生活は全体的に楽しかったです。無知な自分に新しい知識が次々と入っていく感じがたまらなかったのです。自分は元来、学校の授業には比較的真面目に取り組んでいたので、勉強に対する苦手意識はなかったです。しかしやる気を引き出すまでが大変でした。中学三年になって少し高校受験を意識するようになり、神尾塾に体験授業に行きました。そこは厳粛とした雰囲気の中授業が行われていてとても集中できる環境でした。ここなら勉強ができる!伸びるはずだという何かフィーリング的なものがあり入塾することを決めました。他塾の体験にも行ったのですがとりわけ雰囲気が良くなかったので通おうとは思わなかったです。

ぐんぐん成績は伸びていき第一志望の津田沼高校(入塾する前の成績だったら絶対に受からなかったレベル)に合格することができました。神尾先生の授業は刺激があり好奇心をそそるものでした。素直に勉強が楽しく、塾に通うことが当たり前になっていました。これが私の勉強に対する情熱の原点です。津田沼高校に入れていなかったらおそらく大学受験もしていないだろうし、こうして今、早稲田に通うことができていなかったでしょう。それくらい自分にとってかけがえのない場所なのです。神尾先生にはただただ感謝の気持ちでいっぱいです。

私は勉強に関しては「楽しんだもの勝ち」だと思います。確かに覚えることも多く、何のために勉強するのかわからないと思います。でも高校受験や大学受験を通過するのにそれが必要ならやるしかないと割り切るしかないです。もっぱら楽しいことをしていればいい、そんなに人生は甘くないと思います。逆に、努力や苦労が多いほどその分、だいぶ抽象的になってしまいますが人間として厚みが出てくるものだと思います。

それに受験生の一年なんて人生単位で考えたらほんの一瞬でしかない、でもやらなかった後悔は“一生”残ってしまうのです。自分は電車の中、駅から予備校までの5分程度の徒歩、ご飯中や風呂の中でさえ単語帳を常に見ながら確認していた。こういうひたむきさが合格に直結したのは断言できます。どうせやるなら極めた方が絶対に良い。受験は自分との勝負、頑張らないのは本当にもったいない。

「どうして勉強することを厭わないのか」と質問をされたことがありましたが、やる気の根本は自分でもよくわからないです。日常で電車に乗って、気付いたらTOEICの参考書を開いていたり英字新聞を読んでいたりと、もはや無意識のうちにやっています。他に、自分は他人より秀でている分野がないので勉強なら努力でなんとかなるから頑張ろうってなっているのかもしれません。小学生の頃軽いいじめを受けていたのでこれはありえそうです。もしくは勉強している自分に陶酔しているか(笑)なども考えられます。

何はともあれ勉強がつらいものから趣味の領域まで昇格してしまっています。これはとても喜ばしいことではないでしょうか。生きていく上で“学ぶこと”は絶対に欠かせないものです。勉強を好きになる工夫をしましょう。あとは“感謝”の気持ちです。これが一番大切ですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。国語力がないので支離滅裂な箇所もありますが自分が思うことをありのままに書きました。これが将来の受験生の教訓となれば嬉しい限りです。

この記事を書いた人

kamiojuku