学力とは、区別する力

例えば英語の苦手な生徒を見てみると、彼らにとって英文は「Sheplaystheguitar.(えすえいちいーぴーえるえー・・・)」と文字の羅列でしかない。逆に、英語の得意な生徒を見てみると、「She=主語、plays=三単現の一般動詞、the=冠詞、guitar=名詞、最後に肯定文だからピリオド」という風に単語ごとに区別し、その意味を定義することができている。

このように、前者のような勉強が苦手な生徒には常に「混沌(こんとん)」という状況がつきまとってくる。更に、この場合の生徒を見ているとノートに問題のページ番号を書かない、問題番号を書かない、のようにその問題の所属を区分せずにタラタラと区切りなく問題のみを書いていることが多い。これも一種の混沌である。

古事記の書き出しを読んでみると、「それ混元既に凝り、気象未だ現れず、名も無くわざも無し」と宇宙が混沌としている場面から始まっている。日本書紀も「天地未だわかれず、陰陽分れざるとき、混沌たること鶏子の如く」と宇宙の混沌を描いている。そこから太陽が、月が、天と地が、と区別を重ねていって、一つひとつの物事が命名されたり定義づけされたりして、いまの社会や学問につながっていく。

勉強が苦手な生徒の脳内は、この天地開闢(かいびゃく)以前の宇宙の様子と似ていると言ってよいかもしれない。ここに「これはbe動詞」「これは一般動詞」と区別する概念を入れていくわけなので、そこにあいまいな領域を残さないで、白と黒くらいにはっきり区別させることが大切。「be動詞=存在を表わす」「一般動詞=動きを表わす」という風にコントラストをつけて教えていかなければならない。