ある日の牧場

牧場でソフトクリームを食べながら、動物達を眺めていた。ブタやヤギ、ヒツジが泥まみれになりながら顔を寄せて餌を食べている。10頭近くいたブタは、短いしっぽを右へ左へパタパタさせながら食事に没頭していた。そこへカラスが飛んできて、ブタの背中に停まりながら、時には下に降りて動物達と餌をあさっていた。

何と平和な光景か…と今度は左を向けば、犬が小屋の前で一生懸命に穴を掘っている。土をかき飛ばしながら、ひたすら掘り続けている。この犬何をやっているのかとしばらく見ていたら、約十分後、犬は穴の中に腰を下ろして、口をハァハァさせながら恍惚の表情で座っていた。

猛暑の中で小屋の前には日陰もない。だから犬は穴を掘って、せめてもの涼みとして土中のひんやり感を楽しみたかったのだ。私は犬の行動力に感服した。しかも穴の広さも深さも自分が入るちょうどよいサイズである。

「自分が快適に過ごすために、自分自身が汗を流して理想の環境を作り上げる」この行動力こそが生きものにとっての根本なのだと、恍惚の犬を見てつくづく思った。

欲しいものがあれば手に入るように自分が努力すればよい。この努力の積み重ねこそが今の現実の社会に結晶となって現れている。夏を涼しく過ごしたいからエアコンが生まれたし、階段を歩くのが億劫(おっくう)だからエスカレーターが生まれた。このようにして一つひとつ快適な環境が整い始めると、

自分で考えて行動しなくても、誰かが快適を自分に自動的に与えてくれるから自分はもはや何も考えたり行動する必要が無い。これが昨今の「生きる力の喪失」というものだと思う。

しかし、この犬の行動力こそが生きもの本来のあり方であり、人間としてはいつだってこの行動力を失ってはならない。自分が納得いかないのなら、自分で行動して変えればよいではないか。何事であっても、他人のせいには決してせず、あくまで自分の行動力次第で自分の道が拓けるということなのだ。