すべては我が事

昨日はテレビでも東日本大震災の特別番組が組まれ、あの日を振り返らないわけにはいかない一日となった。

しかし、おびただしい数の人の命が失われたこともあるだろうが、7年を経て報道されているということは、紛れもなく「東京も大きく揺れた」からであろう。もし、仮に東京が、首都圏が大して揺れていなければ報道も今よりは小さく、私自身も3.11の記憶が薄れていたかもしれない。

それはつまり、私たちがその地震の「当事者」だったという事実があるからなのだ。

もちろん、家族や家を失ったわけでもなく、東北に住む方々に比べば安穏として「ああ大きく揺れたなあ」と感じている程度に過ぎない。しかし、揺れた、怖かった、という実体験があるからこそ、遠くの3.11ではなく「自分の3.11」としてこの日を見つめることができる。

昨日3月11日は熊本県でくまモン誕生祭が行われた。くまモンの誕生日が3月12日だからだ。

仮にそれがチーバくんだったら、3月11日に誕生祭をすることは絶対になかっただろう。結局、この日の当事者でなければ「遠くの3.11」でしかないのだ。

ところが2年前の2016年4月14日と16日、熊本では熊本地震が発生した。

私は地震後の4月25日、博多経由で現地に入ったが、
やはり博多はいつも通りだった。「地震?大変だね?」極端にいうとそんな街の雰囲気であった。当事者でなければ対岸の火事でしかない。

熊本に入ると、街行く人から「冷蔵庫がさ」「倒れたタンスがさ」とそんな会話しか聞こえてこない。熊本城の石垣は崩れ、城下の熊本大神宮は倒壊していた。

中心市街地の復旧が進むと、今度は震源地である益城町との差がどんどん広がっていく。熊本市内では飲食店や街の機能がほぼ通常通りに回復するも、車を東に30分走らせただけで瓦礫と化した益城の町が手付かずのまま残されていた。

話は飛躍するが、
歳を重ねると涙もろくなるという。確かに、自分も20年前、10年前に比べて涙を流しやすくなっている。

これは恐らく、人生経験を重ねていくうちに、自分の過去の記憶と目の前の出来事が結びついて当事者感があふれ出てくるのが原因なのだろう。

自分と目の前の出来事が他人事に思えなくなる、いやむしろ自分の身を刻まれるような切なさを感じるから、涙もろくなるのであろう。

家族を失った人間にしか家族を失った者の悲しみは分からない。家を失った人間にしか家を失うことの苦しみを理解できない。それはそうだろう。しかし、私たちは人間だ。人間には「想像力」という大きな能力がある。自分が悲しみを得て初めて悲しみを理解するのではなく、他人の悲しみを見てわが事として悲しめる自分でありたい。

思いやりとはそういうことであろうし、そのためにこそ日常の一つひとつの人生経験に対峙したり、読書や勉強と向き合って感性や頭脳の鋭敏さを磨くことが大切なのだろう。