前項と関連して、紹介しておきたい記事があったので、部分転載します。
—(抜粋ここから)
『修身斉家治国平天下』 (5月29日 15:50 「北尾吉孝日記」)
例えば白人に対し、英語で話さねばならないというプレッシャーもあって、中々自分の意見を十分言えない日本のビジネスマンも多いですが、そんなことを気にする必要は全くないと思います。相手は母国語ですから、英語が上手くて当たり前です。下手な英語で話していれば時に圧倒されることもありますが、そうしたことを気にし過ぎてはいけないと思います。必要に応じて通訳を付ければ良いわけですし、通訳を付けずとも相手と意思疎通できる程度であれば、それで足りる話です。
「辞は達するのみ」(衛霊公第十五の四十一)と『論語』にもあるように、上手い下手関係なしに言葉の意味が通じれば、それで良いことなのです。勿論、色々な知識を鏤めながら滔々(とうとう)と話が出来たらば、それに越したことはありません。しかしそれも、誠実さには及びません。言葉はたどたどしくとも、礼儀正しく謙虚に振る舞っている人は、人間として立派です。そういうふうに思われることが、対人交渉においては第一だということです。
江戸時代など昔の日本を訪れた外国人達は、日本人の礼儀正しさや謙虚さ、立ち居振る舞いに驚きました。日本ほどの文明国は無い、と本国に報告した人もいます。人間の本質というのは、そういった礼儀作法や立ち居振る舞い、言葉遣い等に表れるものです。嘗ての日本人は人間学を勉強していたが故、礼が素晴らしく出来ていたわけです。武士だけでなく農民でも漁師でもそういうことが、きちっと出来ていたのです。
要するに、そういうことさえしっかり出来たらば「四海(しかい)の内(うち)は皆(みな)兄弟(けいてい)」(顔淵第十二の五)、世界中の人が皆兄弟になり何処の国に行っても、それで十分通用するわけです。孔子は「言忠信(げんちゅうしん)、行篤敬(こうとくけい)なれば、蛮貊(ばんぱく)の邦(くに)と雖(いえど)も行われん」(衛霊公第十五の六)、つまり「言葉が誠実であって、立ち居振る舞いがしっかりしていれば、何処へ行っても通用しますよ」と言っていますが、之は正にその通りだと思います。
私自身も過去100か国以上の国をまわり10年間海外に住んだ経験がありますが、つくづく実感したのは結局文化は違っても本質的な人間性は変わらないということ。英語で言えば“Human nature does not change.”です。「きちんとしているな」という人もいれば、「駄目だなぁ」と思う人もいます。だから基本的な礼が出来ている人に対しては、「この人は中々立派だ」と国違えども分かるはずです。分かる人には分かる、ということです。言葉だけがインターナショナルでの商売の成否を、決めるものではないのです。
海外で働くビジネスマンは今後ますます増えてきましょうが、何処へ行っても人間の本質は変わらないということは、ぜひ知っておいて欲しいと思います。最後に残るは人間性がどうなのか、その一点であります。四書五経の一つに数えられる中国の古典『大学』に「修身、斉家(せいか)、治国、平天下(へいてんか)…身修まりて後、家斉(ととの)う。家斉いて後、国治まる。国治まりて後、天下平らかなり」という言葉があります。これ即ち、天下泰平を齎す一番基本になるものは、「身を修める」ことだというのです。
「人間力を高める」とは、正に天下泰平の根元となる「身を修める」ことに繋がっています。此の「身を修める」とは、為政者が国を治めるに限らず、経営者であれ一般のビジネスマンであれ、必要になることです。ビジネスを制するは究極の所、人間力の高さなのです。
故に私達は絶えず人間力を高めるべく、学んで行かねばなりません。
—(抜粋ここまで)
※北尾吉孝氏=SBIグループCEO