親の立場と子の立場

神尾塾は、誠実な対応をしていただいて真っ当なコミュニケーションを取れているご家庭に対しては、生徒の状況や生徒についての私の見解を細かくお伝えするようにしている。時には手厳しい内容になることもあり、ご家庭が不快に感じられることもあるかもしれないと、私自身が覚悟しながらお送りする時もある。西郷隆盛翁が「人を相手にせず、天を相手にせよ」と述べておられるが、「言うか、言わないか。やはりここは言うべきだろう」という、今だけではなく数年後になって、あの時に指摘しておけばよかったという後悔が残らないよう、ギリギリの判断でそのメッセージを伝えるようにしている。もちろん、しばらく私の中で考えを寝かせて、結局指摘をせずに見送ることもある。

では、ご家庭の方に指摘したことをそのまま生徒に私が直接指摘することはどれだけあるか、と言ったら、その割合は極めて少ない。私が生徒に直接指摘をするのは、よほどその程度が酷すぎる時だけである。もしかしたら、ご家庭としては「そんなことは子供に直接言ってくれ」と考えているのかもしれない、と思うこともある。でも、それでは意味がないのだ。

私がご家庭に伝えることは、あくまで大人側が認識するだけに留めておくべき問題であり、その指摘を踏まえてご家庭としては子供に接するための考える材料になってくれればよい。むしろ、その指摘を私が生徒に直接「あれも直せ」「これも直せ」と事細かに注意していけば、その子自身が萎縮に向かう可能性もあるのだ。(繰り返すが、程度の甚だしい場合は子供に直接指摘して改善を促す)

例えば悪ガキが大人になっても悪ガキのままであることは少ないように、問題を抱えた子であっても、その子は年齢を重ねると共に自発的に気付いて問題が改善していくことはよくあることだ。この、自発的に「気付く」ということが最も大切であって、そうさせるための導き、環境をそれとなく整えてあげるのが大人の仕事だという、それでよいのだ。だから、よほどの致命的なトラブルや問題点でない限り、あまり細かくヒステリックにあれもこれも、と子供に注意ばかりするのは適切ではない。

家庭の対応としては、指摘を受けた時に「そういう見方もあるのか」という風に客観的にその指摘を耳にすることが大切で、まるで自分が注意を受けたかのようにヒステリックな反応をするのは間違いだということだ。家庭としては、この「親の立場」と「子の立場」というものを分離して考えなければならないし、この両者を混同して指摘さえも受け付けなくなるような態度がもし発生したとしたら、その時にはこの文章の話をよく考えてもらいたいと思うのだ。